故人の美点を見習い、引き継ぐという発想。 〜親友の命日に想う〜

もう昨日になってしまったが、12/6は、3年前に亡くなった親友の命日。朝から、手持ちのポータブルオーディオプレーヤーに入れた彼との録音(これがまたKISS Tribute“地獄のあがき”という色ものなのだが、まだ元気だった頃に大森のスタジオを深夜に借りて二人で全部の楽器・ヴォーカルを録音して作ったもの:笑)を通勤時に大音量で聴きながら一人追悼会をしていた。まさか通勤電車の他のお客様方はこのオッサンのイヤーホールの中でそのようなレア音源が鳴り響いているとは思うまい。一日の仕事が終わり、帰路、空を見上げてみたが今日は雲がかかっていて月は見えなかった。月を双眼鏡で観察するのが好きな男だった。だからきっと月に棲んでいるはずだ。今日は照れくさくて姿を現さないつもりなのだろうか。
彼との思い出はありすぎて、とても語り尽くせない。聖俗あわせていろいろなことを共にやってきた仲間だったので、笑えるエピソードと武勇伝だらけなのだが、すべてのことが可笑しくてやがて哀しい。なにしろ、そんな幾多のバカ話を一緒に思い出しながら語り合える相手はもうこの世にいないのだ。そのことに気づかされるたびに失ったものの大きさを知る、そんな3年間だったかもしれない。時々このブログにコメントを寄せてくれるTHAT MAN氏もじつは彼の幼なじみであり、この気持ちを共有している仲間の一人だ。
このように、彼を失った悲しみの気持ちはまだまだ癒せないでいるけれど、最近ボクはこうも考え始めている。それは、こういうことだ。亡くなった人のためにボクらが何ができるかといえば、残された自分たちが彼(や彼女)の備えていた美点や長所を心にしっかりと刻むこと。だから、そのいいところを見習って、少しでもいいからその美点を養分として自分の身体に取り入れて引き継いでいくことが大事なのではないかと。その人がこの世に生きて、他の人にいい影響を与えていた長所、それをしっかりと記憶し、伝えていくこと。それが自分たち残されたものの務めなのではないか、そう考えるようになってきたのだ。
その友だちでいえば、彼の飽くなき創造欲や、興味をもった対象に躊躇せず飛び込むパワー、そして何事もエンターテインメント性を忘れない遊び心、等々だろうか。ちょっといろいろなものにエンジンを性急に回しすぎて生き急いでしまった感もある人だが、そんな素晴らしいところ(そして私に少し欠けている点でもある)をこれからちょっとずつでいいから見習っていこうと思うのです。
話はズレるが、彼と前後して3年前に亡くなった私の父も、息子が語るのもなんだが、たいへん紳士的な人でありまして、人の悪口を言っているのを聞いた記憶がない。そして、亡くなる直前、病床にあっても介護ヘルパーの人にお礼の言葉を絶対に忘れない人だったし、字や図表をとても几帳面に書く人だった。ここですべてのことを思い出せないけれども、亡父のそんな美点の一部でも、時間がかかってでも自分のものにできたらと思う。
いずれにせよ、自分たちは生き続けて、故人の良い魂を、これからも伝えていく義務があるように思うのです。そんなことを改めて考えた12/6でありました。
BGM: Cheap Trick(彼の最も好きなバンドであり、難病と闘う彼にわざわざメッセージをくれた人たちでもある。Rick! Robin! Tom! Bernie! ありがとう)
Cheap Trick