もうひとつの日本文学史! 嵐山光三郎著『追悼の達人』

追悼文―そこには自ずと、故人との関係や距離感、温度がにじみ出るものだ。親しかった人、それも亡くなってすぐの場合は文章が昂ぶりがちだし、しばらく疎遠にしていた人の場合は逆によそよそしいものになったり、本来の追悼とは関係ないことを書いてしまうこともあるようだ。この『追悼の達人』(中公文庫)は明治以降の文豪49人に寄せられた数々の追悼をまとめた嵐山光三郎氏の労作。作家ごとに追悼文を丁寧に紹介し、その人物像や、当時の文壇や世間からの評価を浮き彫りにする。文庫本のあとがきにはこう記されている―「小説家にとっては、生涯もまた作品である。死によって作品が完結したことになり、残されたものはさまざまな角度から追悼をした。ほめる追悼ばかりではない」
夏目漱石は英国留学帰りの当代一の流行作家だったが、それゆえに嫉妬され、追悼で批判する者がいた。情死した有島や太宰は蔑まれた。貯金通帳を側に古畳の上で吐血して孤独死した永井荷風は軽んじられ、長生きした谷崎潤一郎は文壇に無視された。いずれも自死した川端康成三島由紀夫は、かつて追悼文の名手だった、等々、興味深いエピソードの連続だ。文庫本にして600ページを超える大作だが、明治以降、正岡子規から昭和の小林秀雄まで没年順に紹介されており、まるで日本の近現代文学史を読んでいるような面白さでどんどん読み進めることができる。ほぼ同じ生年の人でも早世した人と長寿の人では登場するページが全くかけ離れていたりして、そうした時間軸の不思議にもわくわくさせられる。一つ例を挙げよう。明治19年生まれの石川啄木は明治45年没で87ページに掲載されている。しかし、明治18年生まれで一つ年上の武者小路実篤は昭和51年まで存命だったので、なんと巻末に近い575ページになってやっと登場する。
この本には小説も一部引用されていて、泉鏡花幸田露伴幸田文などは改めてその小説を読んでみたくなった(ということで、最近『五重塔』を読み始めたわけであります→記事http://d.hatena.ne.jp/akazaru09/20110403/p1)。逆に、周囲からの評判のあまりの悪さに、人間としての興味をもった文人もいる。嫌われ者と評された岩野泡鳴、岡本かの子林芙美子、アル中の若山牧水、臨終寸前の田山花袋の耳元で「死んでいくときの気分はどういうものかね」と訊いたといわれる島崎藤村など。あー、やはり文人って「濃ゆい」人が多いわ。とにかく、日本文学に興味のある人は必読といってもいいオモシロサの本ですぞ。
追悼の達人 (中公文庫)