長文御免「ミルトン・ナシメントを極めるfeatケペル木村@国立」(4/21)に行った
近頃、私のなかで南米音楽がきている。けっこうきている。それもMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)と呼ばれる60年代以降にロックなどの影響を受けたブラジルのポピュラーミュージックのジャンルにである。たしかにこれまでもDjavan、Joao Bosco、Gal Costa、Laurindo Almeidaなどブラジルのアーティストのレコードを買うことはあった。しかし心底ハマるほどではなかった。それがなぜ?
きっかけは去年、ドライブ中にFMでたまたま聴いたミルトン・ナシメント(Milton Nascimento: 1942〜)のTravessiaという曲だった。ガットギターの優しい音色、力強く、しかしどこか哀愁を帯びた歌声、そこに突如オーケストラが絡み、曲の世界を一気にカラフルで広がりのあるものにぬりかえていく。このオーケストラとの絡みの素敵さといったら、これまで聴いてきた欧米のポピュラーミュージックとは別次元のもので、あまりのことに運転中にもかかわらず夢見心地。あぶない、あぶない。「はじめ素朴で、あとゴージャス」―複雑な味わいのこの楽曲に一発でノックアウトされた私は、家に帰りFM局のサイトでオンエア曲とアーティストの名前を調べ、さっそく翌日にMiltonのベスト盤“MILTON NASCIMENTO MUSIC FOR SUNDAY LOVERS” を購入したのであった(こういうことだけは行動が早い)。
人は何かアンテナを自分の中に立てると、そのアンテナにどんどん情報が引っかかってくるもの。その後は、なにかとMiltonが私の毎日に登場するようになったのである。Esperanza Spaldingのアルバムを買えば、そこに原作者や共演者としてクレジットされているし、YouTube映像を見れば、Miltonの曲を歌うElis Reginaが現れる。家のCD棚を見直せばPaul SimonやWayne Shorterのアルバムにも。しかし、このMilton、アルバムの数は膨大でしかも今は流通していない作品も多数と聞く。なかなかに「登頂」が難しそうなアーティストのようなのだ。
そんなとき、Twitterで、“MUSIC FOR SUNDAY LOVERS” の監修・選曲をされたケペル木村さんによる解説付きでMiltonの全キャリアを一気に俯瞰できるイベントがあるということを知った。その名も「ミルトン・ナシメントを極めるfeatケペル木村@国立」。なんというナイスな企画! なんというグッドタイミング! これは天の助け!この機会にまとめて勉強しよう、ということで、4月21日、仕事を早々に片付けて、はるばるJR国立駅前のダイニングバーNO TRUNKSに向かったのでありました。
会は、ケペル木村さん、珍屋レコードの柳樂光隆さん、ディスクユニオン新宿ラテンブラジルフロアの江利川侑介さんによる解説をまじえ1stアルバムから最新作まで順に聴き、彼のキャリアと作品の変遷をたどっていくという構成。なにしろ30枚以上もある彼のアルバム。主要曲だけピックアップするだけでも19時の開始から4時間以上かかった(「極める」というタイトルに偽りなし!)。このお店はジャズのライブも行われるそうだが、アルテックA7が備えられており、この巨大なスピーカーから大音響で聴く音は大変な迫力。いやこれは、ほんと凄い。私の普段の聴取環境である「CDをPCのスピーカーで夜中にそっとボリューム調整しながら聴く(笑)」のとは全くもって異質の音が聞こえてくる。今まで聞こえなかったホーン、ドラムの刻み、ギターのアルペジオ、等々。やはり、それなりの音量と音響設備で聴くことの大切さを、あらためて実感した。1曲目に聴いたのが1stアルバムのタイトルチューンである例の“Travessia” だったが、自分が最初に聴いたシングルバージョンと違うせいもあるがボーカルやドラムの迫力が全然違っていて、もう冒頭から唖然、呆然(笑)。
ケペル木村さんの解説を伺い、いろいろと楽曲の背景を知ると、曲の印象がまたガラッと変わる。1964年の軍事クーデターから約20年、ブラジルは軍事政権下にあった。とくに1967年以降は表現の自由が規制され、そのことがMiltonやMPBのアーティストの作品、とくに歌詞にその影響が色濃く表れているのだという。例えば“PONTA DE AREIA”という代表曲は一聴するとどこか牧歌的な曲だが、じつはこの曲、彼の故郷であるミナスジェライス州と海沿いの大都市圏を結んでいた「海の道」である鉄道が1976年に軍事政権により廃止され、人的交流が失われることを嘆いている曲なのだそうだ。この時代には歌詞の検閲も厳しく、アーティストたちは検閲を通すために隠喩を多用した作詞を行い、スキャットだけの曲を収録するなどして抵抗を試みていた。こうした歴史的な背景を知ると、曲への感慨もよりいっそう深まろうというもの。
さて、「なぜ、私はMiltonの音楽に惹かれたのか?」―それはまだ答えは出ない。ただ、ケペルさんの話のなかにひとつのヒントがあるように感じた。
それは、彼の地元であるミナスジェライス州の成り立ち。同地域は鉄鉱石の産地として有名だ。18世紀に起きたゴールドラッシュにより、男たちがやってくる。多くのアフリカ系の労働者が集められ、そこに女たちがやってきて、次には教会が建つ。ここでアフロ系のリズムに、クラシカルな音楽の要素が渾然一体となったミナスの音楽の土壌が生まれたのではないか、という仮説だ。最初に“Travessia” を聴いたときに感じた、「はじめ素朴で、あとゴージャス」「土着性がありながら洗練された感じ」「ファンキーでありながらエレガント」という印象は、こうした地域の歴史・風土から生まれてきたものなのかも? そもそもブラジルという国そのものが、世界有数の移民国家であり混血国家だし、複雑で多彩な文化が生まれることも想像できる。
いや、これで納得してしまってはいけない。まだまだ私はMilton、そしてブラジル音楽の初心者。なぜ今、ロックからジャズ、ソウル、ファンク、アメリカンルーツミュージックと流れ流れてきた自分がブラジルにたどり着き、とくにミナスやMPBのアーティストたちに惹かれ始めたのか、その答えはこれから彼らの音楽を探るなかでじっくりと見つけていきたいと思う。そんな長い、長い(?)道のりの第一歩となりそうな有意義なイベントでありました。
Miltonと個人的にも交流のあるケペルさんのお話はどれも貴重なもので、Miltonの人となりを知るうえでも興味深いエピソードを紹介していただきました。まだまだ話したりないとおっしゃっていたので次の機会もありそうな予感。お近くでご興味のある方は、NO TRUNKSのサイト等をチェックしてみてください。
当日配られたお三方による解説付きディコグラフィーと貴重なミルトン・ナシメント・ファンクラブ会員証
国立NO TRUNKS http://notrunks.jp/