『接続された身体のメランコリー 〈フェイク〉と〈喪失〉の21世紀英米文化 』を読んだ

『接続された身体のメランコリー 〈フェイク〉と〈喪失〉の21世紀英米文化 』(髙村峰生著 青土社)まずは一回目読了。ネットワーク社会に常時「接続」されることで “本来とは違う、なんかヘンなことになっている自分”に感じる気持ち悪さ、抑うつ的な感覚というのは以前から感じていて、それがコロナ禍(とりわけ第2回ステイホーム期)でより強まっている気がしていた。そんな中でこの本を読み、メランコリックな気分の底に流れるものを考えるきっかけが得られたように思う。それは、自分が何から疎外されているのか、あるいは「自分が何を喪失したのか」を意識することでもあるけども、そのことについて自分なりにうすボンヤリと考えていた仮説のようなものをこの本に言語化してもらったような気がする。「あなただけじゃないんだよ」と言われているようで、(けっして易しい文章ではないけども)夢中になって一気に読んでしまった。久しぶりにワクワクするような批評に出会った気がする。

序論と最後の第10章はそうした現代的な状況に関する論考。その間に、クリストファー・ノーラン、ジム・ジャームッシュクエンティン・タランティーノ、スパイク・リー、ルー・リード、デヴィッド・ボウイ、カズオ・イシグロ、トニ・モリスンなどの作品に関する評論が並ぶ。これらの作家たちの作品群は同時代に生きる私たちに様々なものを問いかけ、時代の背景を色濃く映し出す。僕らが映画や音楽、文学に求めるものを改めて気づかせてくれた感じもあって、そういう点でも個人的にたいへん刺激を受けているところ。この本、音楽や映画を愛する皆さんにも、ぜひ手に取って読んでほしいなと思う。

 

 

 

 

2019年ベストと2020年ベストの2年分をまとめ上げ

2020年が暮れようとしております。

2020年ベストアルバムをはてなブログにも書いておこうと思いましたが、なんと2019年のベストを上げてなかったことに気づきました(ゆるいブログで恐縮です…)。

お詫びして1年後の本日、ここに2020年のベストと一緒にアップさせていただきます。2020年分の詳しい感想等は年明けに書くとして、タイトルのみ取り急ぎメモしますね。

皆様、たいへんな年でしたが、お互いによく耐えましたね。来年はよりアクティブに音楽リスニング活動や創作活動に皆さんと取り組めることを願っています。

 

では、まず2019年のベストアルバムから…

 

2019年ベストアルバム 18(順不同)

 

Solange - When I Get Home

Gaby Moreno & Van Dyke Parks - ¡SPANGLED!

André Mehmari & Néymar Dias & Sérgio Reze - Na Esquina Do Clube Com O Sol Na Cabeça

Carlos Fuchs & Água de Moringa - cadérno roubado

Seba Kaapstad - Thina

Lauren Desberg - Out For Delivery

Terri Lyne Carrington & Social Science - Waiting Game

Esperanza Spalding - 12 Little Spells

Pedro Martins - VOX

Camila Meza & The Nectar Orchestra - Ambar

Brittany Howard - Jamie

Salomão Soares, Vanessa Moreno - Chão de Flutuar

O Terno - Atrás/Além

Joel Ross - Kingmaker

Chiquita Magic(Isis Giraldo) - It's Different

Moons - Thinking Out Loud

Fear Gorta - Fear Gorta

Nital Hershkovits - Lemon The Moon

 

(選外ながらよく聴いた5枚)

Jullian Lage - Love Hurts

Paula Santoro e Duo Taufic - Tudo Será Como Antes

Anderson .Paak - Ventura

Moonchild - Little Ghost

Brad Mehldau - Finding Gabriel

 

【2019ベストライブ】

いだてんコンサート NHKホール

パンチ・ブラザーズ ブルーノート東京

ニタイ・ハーシュコヴィッツ めぐろパーシモン

マーキス・ヒル コットンクラブ

ギンガ&モニカ・サウマーゾ 練馬文化

アントニオ・ロウレイロ めぐろパーシモン

カミラ・メサ ブルーノート東京

ルシアナ・ソウザ コットンクラブ

ジョエル・ロス ブルーノート東京

アレッサンドロ・ペネッシ 豊洲シビック

 

オリジナルラブ グリーンルーム

エゴ・ラッピン グリーンルーム

CKB 神奈川県民

カイル・シェパード めぐろパーシモン

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続いて2020年です…

 

【私の2020ベストアルバム(順不同)】

Pinhas and Sons - מדובר באלבום

Melody Gardot - Sunset In The Blue

Gilberto Gil Groupo Corpo  - GIL

Mac Miller - Circles

Lianne La Havas - Lianne La Havas

Nora Jones - Pick Me Up Off The Floor 

Dirty Projectors - 5EPs

Cribas - La Ofrenda

Paul Bryan - Cri$el Gems

Jeff Parker - Suite For Max Brown 

浦上想起『音楽と密談』

Rufus Wainwright - Unfollow The Rules

André Mehmari - música para uns tempos de cólera

 

(以下も、好きになったアルバムです)

書体と行間がバラバラですが気にしないでください(笑

CHASSOL -Ludi

WORLD STANDARD - 色彩音

Flanafi - Flanafi

María Suárez - Fabulario (2016)

山本亜美・沢田穣治『モノクロームな極彩色』

Rob Mazurek, Exploding Star Orchestra - Dimensional Stardust

Maria Shneider Orchestra - DATA LOADS

James Chatburn Faible Teil1

Fernando Brant - Vendedor De Sonhos

Mary Halvorson CODE GIRL - Artlessly Falling

角銅真実『oar

Ron Miles - Rainbow Sign

Loli Molina - Lo Azul Sobre Mí

Cleo Sol - Rose In The Dark

Meritxell Neddermann - Ja no vull

 

↓ 旧譜ではこの辺にハマりまくりでした。むしろこちらの方が聴いた回数としては多かった盤もあります。

再び、書体と行間がバラバラですが気にしないでください(笑

 

Cory Wong - Motivational Music for The Syncopated Soul

Nate Smith KINFOLK - Postcards from Wverywhere

Davi Fonseca - Piramba

Tank and The Bangas - Green Balloon

Jordan Rakei - Wall Flower

Alina Engibaryan - We Are

MARO - It’s OK(2018)

 

鳴らした場合『ふつえぬ』(2018)

Yoshiharu Takeda - Aspiration  ※2018年にマイベストアルバムに挙げました

Mary Halvorson with Bill Frisell - The Maid with the Flaxen Hair

Mary Halvorson Quintet - Bending Bridges

 

【2020ベストライブ】 今年は1月と2月にしかライブは基本的に行ってないので…オンライン配信ライブにも優れたものがありましたが、この3つ。ファビアンはリンダ・オー(b)、石若駿(ds)とのトリオで、生涯ベスト10に入ってきそうな素晴らしい内容でした。

 

ファビアン・アルマザン・トリオ 新宿ピットイン

タンク・アンド・ザ・バンガス ブルーノート東京

クリバス ソノリウム

 

2020年は歌に心惹かれた年でもありました。ベストアルバムというよりはベストソング&トラックをちゃんとまとめたい気もしています。では、よいお年を!

 

※2020.1.3記 スペリング間違いを1カ所訂正・更新しました。

 

 

 

 

追悼

 

旧友Mが急逝した。

 

仙台に国分町という繁華街がある。6月中旬某日の夕方、仕事先との打ち合わせに向かう途中、その国分町で倒れ、救急搬送され、そのまま亡くなったのだそうだ。心臓発作を起こしたとのことだが、詳しい死因はわからない。国分町の隣り街にある彼の自宅マンション兼仕事場には一度だけ泊まりに行ったことがあり、その最期に歩いたルートは想像できた。倒れたとき、彼は身分証明書の類を持っていなかったらしい。Mの携帯電話の通話履歴から、(おそらく病院か警察が)最後にかけた相手先を割り出し、ようやくMの身元がわかったのだという。

 

共通の友人で、Mの仙台での仕事仲間でもあるFさんから報せをもらったのは、そんなあれこれが終わった直後のことだった。驚いた。頭が真っ白になるとは言うけれど、ほんとうに空っぽになるんだなと思った。2時間くらい、「Mが死んだ」という事実だけが頭の中をリフレインするばかりで、それ以外には何一つ実感の湧かない状態が続いた。その後、やはり仙台在住のFacebookの知人からも連絡をもらった。やはり、それ以上詳しいことはわからないようだった。その後、仙台市内に住むお姉様が喪主となり(Mは独身だった)、葬儀は家族だけで行われたという情報をもらった。これが自分の知るMの死のすべてだ。

 

訃報から2週間以上が過ぎた。亡くなったという事実は少しずつ受け入れられるようになった。しかし、仙台から遠く離れた横浜にいるせいか、あるいはカタチだけでもちゃんとお別れをしていないせいか、彼の死をリアルに捉えることができないフワフワとした感覚がいまだに続いている。Fさんから連絡をもらったのは新型コロナウィルス感染予防のための在宅勤務期間が終わる直前だった。その後再び東京のオフィスに通勤するようになり、あれこれと新しい業務をこなす日々を送るなかで、徐々に彼のことを忘れる時間も増えていった。しかし、例えばFacebookで友人の投稿を見ると、あるいは野球のニュースでMの好きだったロッテの試合結果を知るときなど、ふとした瞬間にMのことを思い出しては、「ああ、アイツはもういないんだな」と思ってしまう。そしてもっと会っておくんだった、もっと話す機会をつくるべきだったと思うのだ。しかし、もう遅い。

 

彼は仙台の大学で同級生だった。出会ったのは1982年だから、かれこれ40年近く前のことだ。最初にどうやって知り合ったのかは思い出せないが、同じ文学部で、クラスも同じ、専攻は違うが学科も同じだったので、接点はいろいろとあったのだろう。アルバイト先も、同じくデパートの配送センターで一緒だった。思い出すことといえば、くだらないことばかりだ。カーリーヘアーに髭の名物マスターがいる国分町のパブに通い、カラオケを二人で連日歌っていた時期があった。ある夜に二人とも酔いすぎて、マスターではなく他のグループの客からつまみ出されたことがあった。真夜中に寝ているところを、同級生Oの家で飲んでるから来いとMから電話で起こされた日のことも思い出す。すでに眠りこけている同級生の背中に、後の某テレビ局のロゴマークに似た例の放送禁止の図案をMと二人して悪戯書きして帰って来た。Mが仙台駅の近くの部屋に引っ越すというので軽トラックを借りて終日手伝ったこともあった。学生時代の記憶は、枚挙にいとまがない。卒業後Mは仙台の広告代理店に勤め、その後何回か転職した後にコピーライターとして独立。広告やプロモーションの仕事をずっと続けた。自分は東京で就職し、最初は別の業界に入ったが30代でキャリアチェンジし、広告デザイン会社に入り同じくコピーライターになって今に至る。何か不思議な縁がある。仙台出張の際には、例の髭のマスターの店のバイトだった人が国分町に開いたバーにも何度かMと飲みに行った。自分が結婚した時には二次会に出席するためにわざわざ仙台から東京まで来てくれた。しかし、その後は、ほとんど会うことはなくなった。それでも連絡先だけは交換していたし、メールやSNSで互いの近況は把握するという程度のゆるい友人関係が続いていた。

 

最後に会ったのは、10年以上前のことだったと思う。Mが東京、それも私の職場のある渋谷に、新しい事業のための会社を設立したというので、一度久しぶりに会って昼飯でも食おうということになった。あんなことやこんなことも、懐かしい話ができるのが楽しみで、昼休みの時間も長めにとり、喜び勇んで待ち合わせのレストランに行った。Mは一人ではなかった。一緒に仕事をしているという人を連れてきていた。仕事関係で同じ渋谷にいるからと紹介するつもりだったのか、あるいは久しぶりなので照れ隠しに第三者に同席してもらったのかはわからない。初対面の人がいるという予想外の状況に、自分はやや戸惑った表情を浮かべていたことと思う。が、その後は気を取り直して、新しい事業の話(案内資料も渡された)を聞き、同席の人ともいろいろ話をした。でも、どんな話をしたかも憶えていない。「おれは、お前とサシであれこれ話がしたかったのに…」と思いながら、“ランチョンミーティング”は終わった。あの時、ちょっとだけ自分はMの対応に腹を立てていた。

結局はMの新規事業会社は早々に店じまいとなり、渋谷での会合はこのとき限りで二度はなかった。そして、このときのランチがMと会った最後になった。

 

訃報を真っ先に知らせてくれたFさんとの縁を取り持ってくれたのもMだった。たしかあれは東日本大震災のあった年の秋、被災した仙台と松島地域の復興の様子を確認しに行こうと思いMに連絡を入れた。彼は都合が合わなかったが、仙台の地元のおいしい店を家人と私のためにメールで紹介してくれた。そして、「画家でイラストレーターなんだけど、君とまったく同じ生年月日の人がちょうどその時期に個展をやっているから会ってみたら?」と会場のデパートを教えてくれた。Fさんの個展に行った日は、まさに我々の誕生日だった。それ以来Fさんとの縁は続いている。

 

私もMもFacebookに誕生日は公開していないのだけれど、互いの誕生日にはダイレクトメッセージで「今年も、ひっそりと誕生日おめでとうございます」と短い祝いの言葉を送り合うのが恒例だった。私の誕生日はFさんと同じなので、そのついでに送ってくれていたのかもしれないが、彼の誕生日は学生時代に手帳にメモしたそのままで私は憶えていた。その日になると、忘れずに年一回のダイレクトメールを送る。友達としてはそれで十分じゃないかと思っていた。

 

それが、今日7月4日。本来ならそのMの58歳の誕生日だ。今年はメッセージを送ることができないので、推敲もせず、こんな追悼文にもならぬ駄文を贈ることにした。

 

変な話だけど、年齢を重ねると死はわりと普通のことに思えてくる。自分と関係のあった人の母数は多いから、その分だけ知人や友人、親類の訃報に接することは増える。不感症にならないとやっていけないほど、死にある意味鈍感になる。そして、その感じ方はその人との交流が現在形かどうかということにもよる。Mだってそうだ。大学時代なら大泣きする場面でも今は涙も出ない。ただただ心にぽっかりと穴があいたような寂しさがあるだけだ。それでも、あの楽しかった、ただただ馬鹿馬鹿しいほど楽しいだけの若い日々の記憶は、これからも私をきっと支えてくれる。ありがとう。そして、どうか安らかに。

 

2020年7月4日 Mの誕生日に。

 

ライブ花生けを見て、ライブの意味を知る。

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ライブで花を生けるパフォーマンスを見るのは初めてで、しかもジャズピアニストとの共演。あれこれと胸躍らせながら、仕事終わりに四谷三丁目へ。会場は総合芸術茶房 喫茶茶会記。住宅街の小道のその先、奥まったところに佇むジャズ喫茶だが、朗読や生演奏、舞踏など様々なイベントが日々催されている文化サロンでもあるそうだ。蔦のからまる建物に入り、玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。全体的に薄暗い店内、手前は喫茶スペースで、奥には椅子が並べられたイベントスペースがある。奥の部屋に入ると、向かって右には年季の入ったYAMAHAアップライトピアノ、左には床に置かれた二個の岩を起点に天井から何本もの麻紐が渡されている。ここが花生けの「舞台」なのだろう。ビールを手に、古めかしい木の椅子に座って待っているとピアニストが入場し、演奏がごくごく静かに始まる。レトロなピアノの一音一音の響きに会場にいる全員が聴き入る。ある意味、物音も立てられないような緊張感だ(静かすぎて、ビアグラスを置く音を立てるのも憚られるほどの!)。

 

こうした数分間の序章のあと、下手に控えていた花生け人が起ち上がり、ピアノの裏側から植物の枝葉を取り出す。ここで聞こえて来る葉のカサカサという音は、会場に充満していた緊張をほっと解きほぐしてくれるようだ。空間に張り巡らされた紐に花生け人が葉と蔓を次々に巻き付けていくと、それに呼応するようにピアノの演奏は静から動、また動から静へと変化し、より色彩感を増していく。そこにまた、枝葉の音と、花鋏の小気味よい切断音が、なんともオーガニックで心地よいアンビエントとしてピアノに絡んでいく。

 

植物が徐々にひとつの形を成していくその様子を見ながら、なるほど、これは何もない空間に立体的な絵を描いていく行為なのだと思った。そして、ピアニストとフラワーアーティストがそれぞれに「音」と「花」を使って空間に何らかのイメージを描き出す即興アートなのだと。ダウンライトと間接照明に照らされた枝葉の陰影が美しい。そして、そのもっとも光を集める一点に百合やかすみ草の花々が差された瞬間、パッと部屋に生気が満ちた気がした。途中でハラリと落ち紐に引っかかった枝がつくる偶発的な造形にもわくわくする。

 

ピアノの演奏がエンディングを迎えると同時に、花生けが終わった。そこには、はじめはバラバラにいたはずの蔓と葉と花が、まるでひとつの根から生えて大きく繁茂した「生きた植物」の一部のように存在していた。植物のもつ自然の生命力が、このスペースを別な意味をもった空間に変えていた。

 

終演後に、自分の見ていた場所を離れて別なアングルから見てみた。その造形は全然違ったものに見えた。そうか、このできあがった作品は一つであっても、その見え方や感じ方は見る人によってまったく異なり、制作過程を通じて作品に投影されるストーリーはこの会場にいる人数分あるのだ。この造形はフラワーアーティストの手によるものだが、ある意味で、ピアニストはもとより、この時間に会場にいた観客一人ひとりの意識や感情によって生み出された唯一無二のカタチと言えるのかもしれない。いま、この時、この場にいることでしか生まれ得ないパフォーマンス・アート。それを体験し、感動するとは、まさにこの「今」を生きる自らの生への圧倒的な肯定に他ならないのではなかろうか。そうか、そういうことか!今さらながらにライブの醍醐味に気づかされた私は、会場を後にしてもしばらくの間、ザワザワとした充足感に胸を満たされながら夜の街を歩いた。そして、こうしたアートイベントが成立するTOKYOという都市の凄さにも改めて感じ入ったのであった。

 

鑑賞したライブ:deep and sweet

伊藤志宏(Shikou Ito / piano) 

加藤ひろえ(Hiroe Kato / Hanaike)

2019年7月5日(金)19:30~ 

総合芸術茶房 喫茶茶会記

(東京都新宿区大京町

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はてなブログに移行しました

はてなダイアリーの終了ということで、取り急ぎ「はてなブログ」に引っ越しました。細かな部分で移行しきれていないものもありそうですが、追い追い調整していきます。改めましてよろしくお願いいたします。

2018年も暮れゆく 〜ベストアルバム16枚〜

相変わらず時たま更新のブログですが、この「はてなダイアリー」のサービスが近々「はてなブログ」に統合されると先週知り(苦笑)、ちょっと慌てているアカザル店主です。
さて、年々豊作になる一方の新譜ですが、今年も悩みました。世界の音楽情報誌「ラティーナ」2019年1月号に私の選盤が載っておりまして、ここではそちらの10枚をベースに、さらに6枚を含めたアルバムのタイトルだけご紹介して取り急ぎ今年の私の備忘録とさせていただきます(気づくと大晦日)。詳細は後日追記するかもしれません。こちらです↓

2018 Best Album
画像の左上から右下へ16枚:ベスト10はラティーナ2019年1月号と同じ内容です。

Antonio Loureiro / Livre
Kip Hanrahan / Crescent Moon
Silvia Iriondo / TIERRA SIN MAL
Ben Lamar Gay / Downtown Castles Can Never Block The Sun
Celso Sim / O AMOR ENTROU COMO UM RAIO - Celso Sim Canta Batatinha
Federico Arreseygor / TODONOSEPUEDE
Jon Brion / Lady Bird: Original Motion Picture Soundtrack (Analog)
Noname / Room 25
Ambrose Akinmusire / Origami Harvest
Cesar Lacerda / Tudo Tudo Tudo Tudo
(ここまでがベスト10順不同)

Greg Saunier Mary Halvorson Ron Miles / NEW AMERICAN SONGBOOKS VOLUME 1 (Analog)
Gilberto Gil / OK OK OK
三枝伸太郎&小田朋美 / わたしが一番きれいだったとき
Azekel / Our Father
MAST / Thelonious Sphere Monk
田吉晴 / Aspiration

ベン・ラマー・ゲイは、けっこうアヴァンギャルドなことを愛嬌をもってやるところが好きです。去年はBottle Treeでも気になる音を届けてくれましたが今年のソロアルバムはクセになりました。


Esperanzaの新譜はフィジカルが3月まで出ないそうなので勝手に来年扱いにさせてもらいます。Nonameもフィジカル出てないですが細かいことはいいじゃないですかw

他には下記のアーティストの新譜も今年よく聴きました。
Rubel
空中泥棒
Jamie Issac
Dani Grugel
Mocky
Christian Scott aTunde Adjuah
(アルバムはThe Emancipation Procrastinationです)
Dirty Projectors
cero
Liverwort Lab
Aca Seca Trio
Meshell Ndegeocello
Punch Brothers
Guinga, Gabriel Mirabassi
Quartabê
Young Fathers

このあたりのアルバムトラックも含めたプレイリストを順不同でざっくり作ってみました。よかったら参考までに聴いてみてください。
https://open.spotify.com/user/akazaru_reco/playlist/3WB0ms7QSncAPnA7ja7iI2?si=dVDXCFDPQ0C_valv8UKvtw

(残念ながら、『わたしが一番きれいだったとき』と『NEW AMERICAN SONGBOOKS VOLUME 1』はSpotifyにリストがありません。しかし動画サイトその他で一部の曲は聴けるかもしれませんので、興味のある方は探してみてくださいね。アントニオ・ロウレイロ『リーヴレ』もSpotifyでは1曲だけなんですよね。Appleの方なら全部聴けるかも…

それでは、皆さんに良い一年が訪れますように。2019年もよろしくお願いいたします。

JTNC 5を読む、今のアメリカを知る。

シンコーミュージック・ムック『Jazz The New Chapter 5』(JTNC5)を読み終えた……いつもながらの満腹感である。しかし、加齢のせいか、老眼のせいか、本を一気に読むことがなかなかできない昨今、通読するのに予想以上の日数を費やしてしまった……。それは通勤電車で読むにはJTNCの判型が大きすぎるせいもあるのではないかと思っているが、これ以上はボヤかない(笑)。ともかく、この時期、深夜ヘロヘロになり家に帰った後のサッカーワールドカップTV観戦の合間に、あるいは休日に喫茶店で、チビチビと、しかし興味をもって個々の記事を読んでいった。

SNS界隈のコメントを読む限りでは、このJTNC5の人気記事ナンバーワンはどうやら冒頭のカマシ・ワシントンへのインタビューのようだ。彼のあのワイルドな外見と「対位法」や「ストラヴィンスキー」「プロコフィエフ」といった発言内容とのミスマッチ萌えにクラクラするが、たしかに面白い。カマシの音楽の聴き方が刷新されそうな刺激に充ちた内容だ。私自身もカマシの音楽は凄いことはわかるが正直どう捉えてよいのかわからなかったのだが、このインタビューは参考になった。なるほど、クラシックの素養か。

また、カマシの他にもケイシー・ベンジャミンをはじめ最先端のジャズシーンを彩るサックス・プレーヤー達へのインタビューはどれも貴重だし、ぼくが個人的に好きなネイ・パームやロン・マイルズ、マシュー・スティーヴンス、ファビアン・アルマザンの記事があるのもとても嬉しい。このようにJTNC 5は従来にも増してアーティストへのインタビューが充実しており、今まさに旬の人たちの生の声が聞ける面白さがある。

しかし、ぼくが最も注目する点はそこではない。いわゆるシーンの最前線にいるアーティストへのインタビューだけなら、他のメディアでもできるだろう。しかし(これは「4」やそれ以前の号でも見られたが)、JTNCではアーティストだけでなく、ジャズシーンを支える個人やレコード・レーベル、ジャズクラブ、学校や教会、コミュニティ、都市などにも目を向けている。そうしたオモテに出ない人たちにもフォーカスし、丹念に紹介しようとしている姿勢、それこそがこの本でいちばん評価したい点だ。

例えば、具体的に目次でいうと、下記の記事あたり(数字はページ)。

024 ヒューストンで育ったジャズ・ドラマーたちの背景にあるもの
036 What is the role of Jazz Media? アートワークからライヴまで一貫したリヴァイヴ・ミュージックの美意識(「リヴァイヴ・ミュージックのCEOメーガン・スタービレイとの対話」「デザイナー ローランド・リフォックス・ニコルの横顔」)
046 ウォリーズ・カフェ ―〈登竜門〉として機能し続ける老舗ジャズクラブ

あるいは、
116以降のWhat is Jazz? feat. American Classical Music etc.
128 Every State Has Jazz Teachers「ユナイテッド・ステイツ」としてのアメリカのこと

等々。

ある記事では、クリス・デイヴ、エリック・ハーランド、ジャマイア・ウィリアムス、ケンドリック・スコットらの素晴らしいドラマー達を生んだ街、ヒューストンに注目し、その街の音楽教師やミュージシャンを紹介。また別のパートでは、クリスチャン・スコットやジュリアン・ラージ、マカヤ・マクレイヴンにインタビューする中で「ジャズの中にあるアメリカ伝統音楽の要素や、各都市シーンからの影響」に関するコメントを引き出し、また、全米各地における音楽教育の現状や、教会、マーチングバンド経験がもたらす影響について語っているインタビューもある。あるいは、新しいジャズを生み続けるレコード・レーベルのキーパーソンに対するインタビューもきわめて興味深い。
  
思えば、JTNCには、こうした、ジャズを支える背景や人々への視点は以前からあった気がする。

JTNC 4においては、

「ジャズを考えるためにはアメリカ音楽のことをもっと考えないといけないんじゃないかと思うようになった。JTNCは自分たちらしい視点で、そんなことをもっと進めていくべきなんじゃないかと」 (同書、巻頭言から引用)

という問題意識から、「Think America Again」というコンセプトのもと、フィラデルフィアの音楽とその歴史にフォーカスしていた。

JTNC 5では、その対象となる都市がさらに全米規模に広がっているのだが、核にあるのは、「アメリカ音楽としてのジャズって何だろう? なぜアメリカで今のジャズが生まれてきたのだろう? その背景には何があるのだろう? アメリカのジャズと同様にアフリカ音楽、カリビアン音楽、ヨーロッパ音楽などの多様なルーツをもつ他の国の音楽と何が違うのだろう?」という監修者・柳樂光隆氏の強い関心なのだと思う(勝手に忖度)。

今回の「5」では、カマシのインタビューに象徴されるように、ジャズとクラシック音楽の今日的な関わり方がひとつのテーマとなっているように見える。が、このクラシックもジャズの構成要素のひとつ=ヨーロッパ音楽であり、JTNC 5においても作り手の目線はアメリカ音楽から離れることはない。たまにブラジルやヨーロッパ、アフリカなどの音楽の話があっても、それはあくまでもアメリカのジャズを考えるうえでの材料として置かれている。で、このアメリカへのこだわりが顕著に表れているのが、先に挙げた、アーティストインタビューにとどまらない「オモテに出ない人びとやアメリカのジャズを下支えする環境、あるいは背景となるコミュニティや都市」に関する多様なストーリーであって、こうした記事がぼくは今回最高に面白いと感じた。

こんな作り手のこだわりに触れるのも、JTNCを読む楽しみのひとつとなっている。少なくともぼくにとっては(笑)。音楽から現代のアメリカを知る一冊。