ライブ花生けを見て、ライブの意味を知る。
ライブで花を生けるパフォーマンスを見るのは初めてで、しかもジャズピアニストとの共演。あれこれと胸躍らせながら、仕事終わりに四谷三丁目へ。会場は総合芸術茶房 喫茶茶会記。住宅街の小道のその先、奥まったところに佇むジャズ喫茶だが、朗読や生演奏、舞踏など様々なイベントが日々催されている文化サロンでもあるそうだ。蔦のからまる建物に入り、玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。全体的に薄暗い店内、手前は喫茶スペースで、奥には椅子が並べられたイベントスペースがある。奥の部屋に入ると、向かって右には年季の入ったYAMAHAのアップライトピアノ、左には床に置かれた二個の岩を起点に天井から何本もの麻紐が渡されている。ここが花生けの「舞台」なのだろう。ビールを手に、古めかしい木の椅子に座って待っているとピアニストが入場し、演奏がごくごく静かに始まる。レトロなピアノの一音一音の響きに会場にいる全員が聴き入る。ある意味、物音も立てられないような緊張感だ(静かすぎて、ビアグラスを置く音を立てるのも憚られるほどの!)。
こうした数分間の序章のあと、下手に控えていた花生け人が起ち上がり、ピアノの裏側から植物の枝葉を取り出す。ここで聞こえて来る葉のカサカサという音は、会場に充満していた緊張をほっと解きほぐしてくれるようだ。空間に張り巡らされた紐に花生け人が葉と蔓を次々に巻き付けていくと、それに呼応するようにピアノの演奏は静から動、また動から静へと変化し、より色彩感を増していく。そこにまた、枝葉の音と、花鋏の小気味よい切断音が、なんともオーガニックで心地よいアンビエントとしてピアノに絡んでいく。
植物が徐々にひとつの形を成していくその様子を見ながら、なるほど、これは何もない空間に立体的な絵を描いていく行為なのだと思った。そして、ピアニストとフラワーアーティストがそれぞれに「音」と「花」を使って空間に何らかのイメージを描き出す即興アートなのだと。ダウンライトと間接照明に照らされた枝葉の陰影が美しい。そして、そのもっとも光を集める一点に百合やかすみ草の花々が差された瞬間、パッと部屋に生気が満ちた気がした。途中でハラリと落ち紐に引っかかった枝がつくる偶発的な造形にもわくわくする。
ピアノの演奏がエンディングを迎えると同時に、花生けが終わった。そこには、はじめはバラバラにいたはずの蔓と葉と花が、まるでひとつの根から生えて大きく繁茂した「生きた植物」の一部のように存在していた。植物のもつ自然の生命力が、このスペースを別な意味をもった空間に変えていた。
終演後に、自分の見ていた場所を離れて別なアングルから見てみた。その造形は全然違ったものに見えた。そうか、このできあがった作品は一つであっても、その見え方や感じ方は見る人によってまったく異なり、制作過程を通じて作品に投影されるストーリーはこの会場にいる人数分あるのだ。この造形はフラワーアーティストの手によるものだが、ある意味で、ピアニストはもとより、この時間に会場にいた観客一人ひとりの意識や感情によって生み出された唯一無二のカタチと言えるのかもしれない。いま、この時、この場にいることでしか生まれ得ないパフォーマンス・アート。それを体験し、感動するとは、まさにこの「今」を生きる自らの生への圧倒的な肯定に他ならないのではなかろうか。そうか、そういうことか!今さらながらにライブの醍醐味に気づかされた私は、会場を後にしてもしばらくの間、ザワザワとした充足感に胸を満たされながら夜の街を歩いた。そして、こうしたアートイベントが成立するTOKYOという都市の凄さにも改めて感じ入ったのであった。
鑑賞したライブ:deep and sweet
伊藤志宏(Shikou Ito / piano)
加藤ひろえ(Hiroe Kato / Hanaike)
2019年7月5日(金)19:30~
総合芸術茶房 喫茶茶会記
(東京都新宿区大京町)