洲崎にて 

灯台を見に千葉・館山に行った。何を隠そう、うちの夫婦は灯台のプチ見学マニアである。これって自称プロ・サーファーと同じくらいの胡散臭さである。ということで先週の土曜日、クルマで東京湾アクアラインをスイスイ通って、館山に向かったのである。
洲崎灯台(すのさきとうだい)は、房総半島のいちばん南から缶切りの先のようなカタチを浦賀水道側に「ニョロン」と向けたその岬の先にある。地元のオバサマ方が管理する砂利にヒモ区画式パーキング(200円)にクルマを停め、強烈な日射しの下、少し道を行くと灯台への入口。天草が干してある店の脇から、丘の上の灯台まで石段がつづいている。帝釈天との分岐から先は、右に木立、左に擬木ではあるが手すりが付いた階段がつづく。人がようやくすれ違えるほどの幅の小道だが、とても気持ちのいい階段。その見上げた先に、青空バックに真っ白な洲崎灯台が美しい姿を見せる。ちょっと短めの寸胴体型かな。
階段を上りきったところに社団法人「燈友会」による紹介プレートがあって、灯台を中心にちょっとした中庭がある。そこからは、太平洋、浦賀水道、向かいの三浦半島から伊豆、さらには木更津の方まで南房総の海岸線を一望できる。なかなかの絶景…。あいにく少しケムっていて見えないがもっと天気が良ければ富士山も見えるようだ。このナイスビューに歓声を上げる我々を見守るかのように灯台はその立派なお姿を天空に伸ばしている。
大正年間からずっと、このあたりの夜の航路を照らしつづけ、海や空の交通を守るために働き続けている洲崎灯台。「燈友会」の感動的な紹介文にもあるように、ずっとマジメに「一筋さん(ノックは無用!…古い)」としてがんばっているのだ。エライ! 千葉には抜群のイケメン灯台である勝浦灯台や、野島崎灯台もあるのだが、この洲崎灯台のなんとも素朴な佇まいや、周囲の景色やアプローチの雰囲気も合わせた印象もなかなかにいい感じである。
灯台とは、岬の先にあって、辺鄙だけど(ちなみに、ボクの生まれた土地も岬)、見晴らしのいい場所にある。だから、灯台のある場所には、何というかいい空気が流れているものだ。その心地よさには、地理的な要素もさることながら、どことなく、人里離れたところで誰に言われるでもなく愚直なまでにひとつの仕事をやり続ける灯台という存在が発散する、ある種の清々しさ(自分が勝手に思っていることだけど)が影響しているような気がする。
灯台といえば、亡き父は気象観測の仕事をしていて、よく南鳥島や小笠原の父島などの離島に半年とか一年とか単身赴任をしていた。そのせいか、もの言わぬ灯台の姿をじっと見ていると、どことなく記憶の中の父とみょうにオーバーラップするような気がしてきたぞ。まだボクが小学校に行くか行かないかの頃、あれは広島に住んでいるときだったが、父が裏山のてっぺんにある測候所(気象観測所)に勤めていて、お昼になると母にことづけられた弁当を届けに行ったっけ。こうして灯台を訪れるのも、ひょっとして、お弁当をもって父に逢いに行くような感じなのかな、とさえ思う。
…と、思いのほかキレイな話にまとまり過ぎてしまったので、照れ隠しにお尻をポリポリかいて、さて寝るかと…

ヤクルトと3ゲーム…おいおい、これは9月中なんて言わず来週には…