笑顔の記憶

2月から当ブログもTwitter連携でしばしお茶を濁していたけれど、ソーシャル・ネットワーク・サービスもバカにできないというか、先日もFacebookで中学時代の友人から30年ぶりくらいに連絡をもらったりしてこれはこれでいいものだなと思う。

久しぶりに見た友だちのプロフィール写真は昔のぽっちゃりしたイメージより精悍な印象に変わっていて、自分の憶えている顔との同期をとるのに少しばかり時間を要した。
彼は実家の事業を継いでいていた。経営者としての厳しさが引き締まった顔をつくっているのかもしれない。いずれにせよ、自分の記憶の中の彼は丸々とした顔をして、ちょっと悪戯っぽい目をした朗らかな笑顔で登場するものだから、最初はちょっと意外に思った。一方で、自分のプロフィール写真は彼の目にはどう映ったのか、そんなことも気になったりして。

で、今日は「顔」のことを。「顔本」から始まった話ですし。

先日帰省したとき、母が「お父さんの顔も忘れてきたわ。だんだんどんな顔やったか忘れてきたよ」と言っていた。
父が亡くなって5年、そんなこともあるのだなと思いながら、私は同じ年に亡くなった親友の顔を思い浮かべていた。5年前まではあれほどクッキリと脳裏にあった親友の顔の輪郭も近ごろはボヤッと緩んだ感じになったなと感じていたので、母のそんなつぶやきもわからないではない。

親友は月が大好きな男だったから、彼の死後、私は自分を慰めるために「あいつは月に行ったにちがいない」と思うようにした。だから満月の夜などは月の模様が彼の顔に見えると自分に暗示をかけて、月と話をしたりした。そんな彼の顔の記憶も、ちょっとずつ薄れてきたのは事実だ。この5年の間に。

こんなふうに人は人と少しずつ本当のお別れをするのかもしれない。
肉親や親友の顔は完全に忘れることはないけれど、目に焼き付いた像も時間とともにフォルムが崩れ、だんだんと緩やかな記憶へと姿を変容させていく。むしろリアルなイメージが徐々に消えていくことで人は別離の悲しみの感情を克服していけるのかもしれないな、とも思う。

またFacebookでつながっている別の人が、好きだった親戚のおじさんが最近亡くなったという記事をアップしていた。大切な人を失う痛みが自分のことのように伝わった。
慰めの言葉をひねり出そうとするうちに、ひとつのことに気づいた。自分にとって、亡くなった人や、大好きだった人のことを思い返すたび、彼(彼女)らの笑った顔しか思い浮かばないということに。

不満げな顔や、怒った顔、泣いた顔などもいろいろ見たはずなのに、そういう顔は少なくとも私の脳裏にあるディスプレイ上のアイコンとしては登場しない。
現れるのは、ニコッとした笑顔、無邪気な笑顔、悪戯っぽい笑顔、慈愛に富んだ笑顔……。種類は違うものの、全員が全員、笑顔でこちらを見ている。亡くなった叔父も、父も、親友も、あるいは(存命だが)長い年月会っていない友達や先輩・後輩も、一人残らず笑っていて、記憶の中にいる人はみんないい顔をしているのだ。

好きな人の好きな顔のことしか記憶できないように自分の身体はプログラミングされているのかもしれない。PCで言うと、「いい顔フォルダー」に笑った顔の記憶が自動で保存されていくように。思えば、なんという幸せなプログラムだろう!

たぶん私たちは、たくさんの人たちとの温かい関係、笑顔の記憶によって生かされている存在なのだ。

このやさしい笑顔の記憶も、時間が経ち年齢を重ねるうちに少しずつそのカタチを変え、やがてぼんやりとした皮膚感覚のようなものになっていくのかもしれない。
それでも私は思う。さまざまな人たちとの優しく楽しい記憶が自分を力づけて、こうやって生き延びさせてくれるのだと。

だからこそ、自分も(近ごろ忘れがちだけれど)なるべく笑っていたいなと思います。まわりの人たちの記憶のなかで、少しでもいい笑顔で登場できるように。