2013年の暮れに今年のアルバム私的ベストなどを

皆さん、2013年が暮れようとしております。

えー…今年のブログ更新は初めてです(恥)。

もう今年もあと5時間です(笑)。

Twitterにかまけてばかりの私をお許しください。
来年はボチボチこちらに復帰します。

さて、恒例の私的ベストアルバム。2012年はEsperanza Spauldingの『レディオ・ミュージック・ソサイエティ』が圧倒した私のリストでしたが、今年はいい作品が多く、10枚選ぶのが難しかったです。とくにブラジル・ミナス系のアーティストの新譜がどれも素晴らしい出来でした。

以下、よく聴いたアルバムをご紹介します。

ちなみに、アフィリエイトはやっておりません(2013年12月現在:笑)。


●Lost Memory Theatre act-1 / Jun Miyake(三宅純)
今年の個人的ベストアルバムを1枚だけ挙げるならばこの1枚。聴くと心の中に自分だけのシアターが生まれる宝物のようなアルバムでした。国境を越え、時代も超えてさまざまなイメージが浮かんできます。傑作。

ロスト・メモリー・シアター, Act - 1
三宅純 Official site(楽曲のサンプルが聴けます)
http://www.junmiyake.com/


●QUIVER / Ron Miles, Bill Frisell, Brian Blade(2012)
2012年12月発。厳密には2013年ではありませんが、トランペット、ギター、ドラムの全ての音が気持ち良すぎてずっと聴いていたくなる中毒性のあるアルバムで、実際によく聴きました。このメンツでおわかりでしょうが、スペースのあるインタープレイが超・快感です。

Quiver



●DERIVA / Kristoff Silva
年末になって滑り込んできたアルバムです。ブラジル・ミナスのシンガーソングライターですが、歌モノを基本軸にしながら全体の構成やアレンジにはプログレやジャズ、音響派の影響も感じます。ただし、欧米にはいそうでいないタイプかと。いま個人的にヘビロテです。
Deriva 



●MISTURADA ORQUESTRA / Misturada Orquestra(2011) 
これも2011年発表ですが、日本では今年出ました。ハファエル・マルティニ(P)率いるブラジル・ミナスの新進気鋭のミュージシャンによるグループ。音はクリエイティブのひと言。音楽的な可能性を感じる大好きなアルバムです。

Misturada Orquestra



●POSTLUDiUM / Goro Ito(伊藤ゴロー)
前作『GLASHAUS』に続き、今回のアルバムも静謐で美しい! 伊藤氏のギターを中心に、それぞれの曲は個性があるのに、アルバムを順に聴いていくうちにイメージが微妙に移ろい、淡いなかにも複雑な色彩が全体から浮かび上がってくるような不思議な作品です。傑作。

POSTLUDIUM



●Wed21 / Juana Molina
正直言って、このアルバムを聴くまでフアナ・モリーナ(&アルゼンチン音響派)はあまりよく知りませんでした。が、しかし! 1曲目の変拍子からノックアウト。かっこいい! これはロックファンにもウケるアルバムだと思います。調子にのってブルーノート東京の来日公演も聴きに行ってしまった…(実際に近くで見た彼女は大変チャーミングな方でした)。

Wed 21



●Macaxeira Fields / Alexandre Andres
これまたブラジル・ミナスの若きシンガーソングライターの2ndアルバム。ここには、前述のMisturada Orquestraと同様、アントニオ・ロウレイロやハファエル・マルティニといったミナスの新世代アーティスト達が集まっており、音楽監督はピアニストのアンドレ・メマーリ。ブラジルの自然や風景を感じるような優しいサウンドが全体を包みます。ビートルズの明らかな影響も随所に顔を覗かせ、ミルトン・ナシメントロー・ボルジェスなどミナス旧世代との共通項も発見できます。心地よいアルバム。

マカシェイラ・フィールズ



●Live Today / Derrick Hodge
去年はロバート・グラスパーの『ブラック・レディオ』に興奮した私ですが、今年出た『ブラック・レディオ2』は、個人的には全然面白く聞こえず…(たぶん単純な好みの問題)。今年は、同じロバ・グラ関連でもベーシスト、デリック・ホッジのアルバムにハマりました。でも、たぶん従来のオーディオ&スピーカーシステムで再生してもキレイに聞こえません。ヘッドフォンで聴くのがこの作品のニュアンスを楽しむためにはベター。1月のブルーノートが楽しみです。

Live Today



●LE KEMONO INTOXIQUE / KEMONOツボ
ボーカリスト青羊(あめ)のソロユニット「KEMONO」のアルバム(菊地成孔プロデュース)。腕利きの若手ジャズメンの演奏にのせて、青羊の歌う「摩訶不思議」かつ「官能的」かつ「文学的」なオリジナルソングが個人的にツボ、いやドツボ! サウンドのみならず歌詞がとにかく秀逸。M2、M4、M5、M8とくに好き。ジャジーなポップソングの新しい可能性を感じました。

LE KEMONO INTOXIQUE



AOR / Ed Motta
英語版もありますが、私はポルトガル語バージョンを買いました。70年代〜80年代のAORワインが熟成して2013年ブラジルでとつぜん封が開き芳醇な香りをぷんぷんさせている、そんなユニークなアルバム。聴いていて頭に浮かぶのはドナルド・フェイゲンの顔(笑)なのに、ジャケットには巨漢のオヤジが(笑)。来日公演も楽しかった、まさにマニアックな「大トロ」才人の快作です。

AOR



(以下、次点の扱いですが、ほぼ上の10枚と遜色ないくらい聴きまくりました。こちらもおすすめです)


●Motivo / Rafael Martini
これまたミナス系。上述のハファエル・マルティニのソロ。一度この音を生で聴いてみたい!このアルバムについてはディスクユニオンさんの紹介文が私の言いたいことをほぼ全て言ってくれていますのでご参考までに 
http://diskunion.net/latin/ct/news/article/1/33115


●Finas Misturas / Antonio Adolfo
エリス・ヘジーナやカルロス・リラなどとの仕事で知られるブラジルのベテランピアニストの単独名義作。コルトレーンビル・エヴァンスキース・ジャレットチック・コリアといったジャズ・ジャイアント達のナンバーをブラジル的アレンジと演奏で奏でる、まさに「融合」のアルバム。その洗練された音にうっとりすること必至。

●TANGOFIED / Torben Westergaard, Diego Schossi
デンマークのベース奏者とアルゼンチンのピアニストの共作。タンゴ・ジャズと呼んでよいのか、ピアソラ的な情熱と冷徹さがぶつかるような音楽的刺激に満ちたアルバムです。しびれます(古い?)。

●Never My Love: The Anthology / Danny Hathaway
ご存じダニー・ハザウェイの4枚組アンソロジー。ベストアルバム仕立ての1枚目は神構成w。




その他、私が聴いた中ではこんな新譜も素晴らしかったです。何枚かご紹介しますね。


(南米関係)
●So / Antonio Laureiro(2012発)
●Trinta / Patricia Marx
●MAR DO MEU MUNDO / Paula Santoro
BEATLES / UAKTI
●UM / Dani & Debora Gurgel Quarteto
Uma travessia 50 anos de carrieira ao vivo / Milton Nascimento


(POP & ROCK関係)
●Album 2 / Louis Cole
●Crimson/Red / Prefab Sprout
●The Next Day / David Bowie
●Wise Up Ghost and other songs 2013 / Elvis Costello and The Roots
●SOLID BOND / naomi & goro
●new age / (((さらうんど)))
●Searching For SUGAR MAN original motion picture soundtrack / RODORIGUEZ


(Jazz関係)
●Without a Net / Wayne Shorter
●Magnetic / Terence Branchard
●Uberjam Deux / John Scofield
●Live in NYC / Gretchen Parlato


また、旧譜では、Renato Braz, Roberto Taufic & Eduardo Taufic, Guinga, Dario Jalfin(これもロックファンにおすすめ)あたり。あとはジスモンチとジョビン関連をよく聴きました。


来年も、刺激的な音楽体験が私にも皆さんにもたくさん訪れますように! 皆さんよいお年をお迎えください。

もう12月。ということで今年のアルバム私的ベスト10などを

バタバタと時は過ぎ、気づけば今年もあと1ヵ月をきりました。引っ越し段ボールはまだ一部屋を独占し、住所変更のお知らせも滞るなか、年末進行の仕事に追われ、なんとなくこのまま年を越してしまわないように音楽を楽しむ時間を作っていかねばと思っております。
さて、今年もいろいろとCD、アナログ盤、新譜も旧譜再発モノも中古盤もさまざまに聴いてきましたが、昨年からの中南米熱は今年も健在。そのあたりのアーティスト作品を中心に聴いた1年でありました。スピネッタのように、Twitterでフォローさせていただいている音楽愛好家の皆さんからの情報をいただき聴き始めたアーティストも多く、この場を借りて関係の皆様に御礼申し上げます。出会いとは、こんなところにもあるんですねw。
スピネッタは、その訃報によって彼の音楽に触れることになったことは残念でしたが、彼の音楽は死してなお輝きを増しているようにも思えます。彼をはじめ今年は、ミュージシャンや作曲家、作詞家、音楽関係のビッグスターたちが多く鬼籍に入った(印象のある)年だったように思います。ちょっと思い出すだけでも、スピネッタ、ロビン・ギブ、ドナ・サマードナルド・ダック・ダン、チャック・ブラウン、エタ・ジェイムズ、ホイットニー・ヒューストンデイビー・ジョーンズ、リヴォン・ヘルム、ボブ・ウェルチエイミー・ワインハウス柳ジョージジョン・ロード尾崎紀世彦ジョニー吉長、ハル・デヴィッド、あと桑名正博、そしてデイヴ・ブルーベック…まだまだ多くの訃報に接してきた気がします。寂しいですが、願わくば彼らの音楽が彼らの死を超えてより多くの人々に届き、これまで以上の評価を得て輝きますように。そんなことを願いながら一年を振り返っております。


今年よく聴いたアルバムから私的ベスト10をリストアップしてみました。
まずは新譜から

1.エスペランザ・スポルディング『RADIO MUSIC SOCIETY』(DVD付き)
 →何と言っても私の2012年はこの1枚。東京JAZZで見せてくれたライブの完全版を来年3月に見るのが楽しみです。

2.クァンティック & アリス・ラッセル with コンボ・バルバーロ『LOOK AROUND CORNER』
 →聴いていて気持ちがウキウキしてくる1枚でした。

3.マリオ・アジネー『VINICIUS&OS MAESTROS』
 →日本では今年出たので2012年に入れましたが、ヴィニシウス・モライスの名曲をギター+オーケストレーション。洗練とはこのことでござる。

4.オマール・ソーサ & パオロ・フレス featuring ジャキス・モレレンバウムAlma
 →これまた、ピアノとラッパの奏でる静謐な世界。これもいいですよー。

5.伊藤ゴロー『GLASHAUS』
 →ひとこと、素敵です。

6.ジョイス・モレーノ『TUDO』
 →一筋縄ではいかないジャズアレンジが好みです。

7.ロバート・グラスパー・エクスペリメント『BLACK RADIO』
 →まあ、2012年では外すことができないエポックメイキングな作品。ヒップホップとジャズの鮮やかな融合。

8.ジョー・バルビエリ『RESPIRO』
 →ライブにも行きました。温かい歌声と小粋な楽曲。いいわ〜

9.ペトゥラ・クラーク『PETULA』
 →御年80数歳とは思えぬアイドル感。あまり話題になりませんでしたが大変よいヴォーカルアルバムだと思います。

10.メロディ・ガルドー『ABSENS』
 →この人もエスペランザとともに私の中では別格の存在です。アルバムで世界旅行してましたね。

ベスト10入りはしませんでしたが、このあたりもよく聴きました(現在聴いているものもあります)。
アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ『CUT THE WORLD』
グレゴリー・ポーター『BE GOOD』
ヴィニシウス・カントゥアリア『INDIO DE APARTAMENTO』
ヴァグネル・チゾ『A OSTRA E O VENTO』
シミ・ラボSIMI LAB『Page 1 : ANATOMY OF INSANE』
村山浩『FIRST DRAGON』


旧譜・中古盤の2012ベスト10は、こんな面々です。

1.ルイス・アルベルト・スピネッタ『SILVER SORGO』
2.ルイス・アルベルト・スピネッタ『UN MANANA』
3.エリス・ヘジーナ『ELIS 1973』
4.ギル・エヴァンス『THE INDIVIDUALISM OF GIL EVANS』
5.ユーリ・ポポフLUA NO CEU CONGADEIRO』
6.レス・マッキャン『COMMENT』
7.ホセ・アントニオ・メンデス『ESTE ES JOSE ANTONIO』
8.エグベルト・ジスモンチ『AGUA & VINHO』
9.ノラ・サルモリア『VUELO UNO』
10.マイルス・デイヴィス『THE COMPLETE JACK JOHNSON SESSIONS』

去年はミルトン・ナシメントにハマりましたが、スピネッタと出会えた2012年にも感謝したいです。この2枚以外にもアルメンドラなどのバンド時代のアルバムも面白い。ギル・エヴァンスは以前は1980年のパブリック・シアターのライブ盤とマイルスとの共作盤あたりしか持っていなかったのですが、年末に再発された『個性と発展』『アウト・オブ・ザ・クール』を聴いてぶっ飛びましたw。たぶん、これから突っ込んで聴くことになりそうです。

旧譜・中古盤次点(同率)
タジ・マハール『THE HIDDEN TREASURES OF TAJ MAHAL 1969-1973』
ホベルトギマランエス『SAUDADE DE MIM』


来年もいい音楽にノックアウトされたいものです。

50歳になったカセットテープ(…同期か…)

カセットテープが生まれて50年経ったのだという。Twitter上でも、カセットテープの想い出を語り合うスレッドができていて、自分でもあれこれカセットテープのことを考えてみたけれども、そういえば頭出しの機能に初めて触れた時に感動したことをふと思い出した。

カセットテープはA面とB面をもち、時間を追って頭から聴き進めていくのに適した(いかざるを得ない)メディアだ。一度再生ボタンをカチッと押すと、あとは基本的にA面の頭からエンドへ、裏返してB面の頭からエンドへと聴いていく。だからこそ、曲の冒頭の無音部を見つけ頭出しをしてくれる機能が出たときは、「A〜B」の長い道程を徒歩で辿るお遍路にも似た旅に、自転車かバイクが登場したような利便性を感じたのだ。
ランダムに早送り、巻き戻しができる機能も存在したかどうかは不勉強につき知らないが、その機能をもってしてもA面とB面の間に厳然としてある壁は越えることができない。また、同じA面B面をもつLPレコードならば、少なくとも同じ面の中であれば盤面を俯瞰して針をまるでヘリコプターのように好きなポイントに下ろすことができるし、自由に前後を行き来することもできるが、カセットテープでは、基本的にはリニアな一本道を進むしかない。そういう意味で、カセットテープはA面とB面という2つのルートを徒歩で旅するように、より音楽を時系列に従って聴くことを運命づけられたメディアであったのかなと思う。

その後MDやCDが出て、曲のピックアップは簡単にできるようになった。アトランダムな再生もできるようになり、今や個別の曲をバラバラに聴く人の方が多いのかもしれない。
カセットテープの衰退(引退)とともに音楽の聴き方が大きく変わっていったように個人的には感じているのだが、カセットテープ世代の私などは、いまだにアルバムCDは頭から順に流れを追っていってしまう。そして流れや構成のなかに作家の意図を読み取ろうとする。これはどうしようもない性である。コンセプトアルバムでもないのに、ついつい裏読みをしてしまう。

同年代の友達がかつて言っていたが、CDの時代になってからもアルバムの1曲目と5曲目、6曲目をまずチェックしてしまうそうだ。つまり、その3曲とは、LPとカセットテープ時代でいうA面の1曲目(キャッチーな曲やヒット曲)、A面のラスト(シングル曲や自信作が入っていることが多い)、B面の1曲目(これもキャッチーないい曲が配備されることが多かった)にあたる。あくまでポピュラーミュージックの例だが、これはまったく自分も同じことをしていた。そんな癖を見つけるたびに、ああオレもアナログ世代なんだなと思ってしまうのですね。
最近読んだ『スティーリー・ダン Aja作曲術と作詞法』(ドン・ブライトハウプト著、奥田祐士訳 DU BOOKS 発行)という本でも、スティーリー・ダンの名作アルバム『Aja』の曲順が、Cメジャーで始まりAメジャーで終わる1曲目→まる1音高いBメジャーではじまりBm11で終わる2曲目→半音高いCメジャーで始まる3曲目……という風にロジカルな流れを構成しているという記事(同書籍109頁以降)が書いてあって、このあたりにも「時系列アルバム聴取派」としてはニヤリとさせられるわけです。

カセットテープにまつわる想い出はいろいろあるし、今でもカセットテープデッキは所有していて、何本かはいまだに捨てられないでいるテープもある。まだまだカセットテープを使う機会はあるかもしれない。磁気テープ類がHDD(ハードディスクドライブ)よりも記録メディアとして優れている点もあり再評価され始めているという記事も最近読んだ。誕生から50年、「がんばれ、カセット!」と心の中で静かにエールを送る私がいるのであった。

さて、ずいぶんご無沙汰してしまったブログ更新ですが、この10月に引っ越しをしまして、仕事もあれこれあって間が空いてしまいました。まだまだ段ボールの山に埋もれているような次第ですが、生活が落ち着いてくれば再開しようと思います。今日はその第一弾ということで。ではまた。

仕事の息抜きにブラジリアン・デー@代々木公園

今日は特急仕事を自宅で少し(少しかい!)やってからブラジルフェスティバル Brazilian Day 2012に行ってきました。
大変な盛況ぶり。まずは肉。シュハスコ

そして豆料理。フェイジアーダ

さらに酒。カイピリーニャ(飲み過ぎ)

そして最後は音楽。ジルベルト・ジルの娘さんで女優であり歌手であるプレッタ・ジルのステージで盛り上がり(一瞬、渡辺直美さんの姿が脳裏を横切りましたがww、素敵なMPBサウンドを聴かせてくれましたよ)。

ブラジルのテレビ番組の収録も行われ、会場は日系の人も含めてブラジルの方がたくさん。彼らは楽しみ方を知っていますね。一緒にいるこちらも楽しくなってくる。代々木公園にいながらにしてブラジルの雰囲気を味わうことができました。
代々木公園では他の国のフェスティバルも開かれているそうなのでまた訪れようと思います。職場からも近いのになかなか来る機会がなかったのはちょっともったいなかったかも。時間も日のあるうちに終了なのでおじさん&おばさんにもやさしいイベントでした。
そして、いつか本場にも行ってみたいという思いが湧いてきました。というか、来年のブラジルフェスティバルまでにはもう少しポルトガル語が聴けるように(できれば少し話せるように)なりたい。そう思えた日曜日でした。

笑顔の記憶

2月から当ブログもTwitter連携でしばしお茶を濁していたけれど、ソーシャル・ネットワーク・サービスもバカにできないというか、先日もFacebookで中学時代の友人から30年ぶりくらいに連絡をもらったりしてこれはこれでいいものだなと思う。

久しぶりに見た友だちのプロフィール写真は昔のぽっちゃりしたイメージより精悍な印象に変わっていて、自分の憶えている顔との同期をとるのに少しばかり時間を要した。
彼は実家の事業を継いでいていた。経営者としての厳しさが引き締まった顔をつくっているのかもしれない。いずれにせよ、自分の記憶の中の彼は丸々とした顔をして、ちょっと悪戯っぽい目をした朗らかな笑顔で登場するものだから、最初はちょっと意外に思った。一方で、自分のプロフィール写真は彼の目にはどう映ったのか、そんなことも気になったりして。

で、今日は「顔」のことを。「顔本」から始まった話ですし。

先日帰省したとき、母が「お父さんの顔も忘れてきたわ。だんだんどんな顔やったか忘れてきたよ」と言っていた。
父が亡くなって5年、そんなこともあるのだなと思いながら、私は同じ年に亡くなった親友の顔を思い浮かべていた。5年前まではあれほどクッキリと脳裏にあった親友の顔の輪郭も近ごろはボヤッと緩んだ感じになったなと感じていたので、母のそんなつぶやきもわからないではない。

親友は月が大好きな男だったから、彼の死後、私は自分を慰めるために「あいつは月に行ったにちがいない」と思うようにした。だから満月の夜などは月の模様が彼の顔に見えると自分に暗示をかけて、月と話をしたりした。そんな彼の顔の記憶も、ちょっとずつ薄れてきたのは事実だ。この5年の間に。

こんなふうに人は人と少しずつ本当のお別れをするのかもしれない。
肉親や親友の顔は完全に忘れることはないけれど、目に焼き付いた像も時間とともにフォルムが崩れ、だんだんと緩やかな記憶へと姿を変容させていく。むしろリアルなイメージが徐々に消えていくことで人は別離の悲しみの感情を克服していけるのかもしれないな、とも思う。

またFacebookでつながっている別の人が、好きだった親戚のおじさんが最近亡くなったという記事をアップしていた。大切な人を失う痛みが自分のことのように伝わった。
慰めの言葉をひねり出そうとするうちに、ひとつのことに気づいた。自分にとって、亡くなった人や、大好きだった人のことを思い返すたび、彼(彼女)らの笑った顔しか思い浮かばないということに。

不満げな顔や、怒った顔、泣いた顔などもいろいろ見たはずなのに、そういう顔は少なくとも私の脳裏にあるディスプレイ上のアイコンとしては登場しない。
現れるのは、ニコッとした笑顔、無邪気な笑顔、悪戯っぽい笑顔、慈愛に富んだ笑顔……。種類は違うものの、全員が全員、笑顔でこちらを見ている。亡くなった叔父も、父も、親友も、あるいは(存命だが)長い年月会っていない友達や先輩・後輩も、一人残らず笑っていて、記憶の中にいる人はみんないい顔をしているのだ。

好きな人の好きな顔のことしか記憶できないように自分の身体はプログラミングされているのかもしれない。PCで言うと、「いい顔フォルダー」に笑った顔の記憶が自動で保存されていくように。思えば、なんという幸せなプログラムだろう!

たぶん私たちは、たくさんの人たちとの温かい関係、笑顔の記憶によって生かされている存在なのだ。

このやさしい笑顔の記憶も、時間が経ち年齢を重ねるうちに少しずつそのカタチを変え、やがてぼんやりとした皮膚感覚のようなものになっていくのかもしれない。
それでも私は思う。さまざまな人たちとの優しく楽しい記憶が自分を力づけて、こうやって生き延びさせてくれるのだと。

だからこそ、自分も(近ごろ忘れがちだけれど)なるべく笑っていたいなと思います。まわりの人たちの記憶のなかで、少しでもいい笑顔で登場できるように。

店主ご挨拶。ツイートに頼ってどないすんねん

2月以降しばらくバタバタしていたのでTwitter連携サービスを使ってお茶を濁しておりましたが、やはりここはブログ。えいや!とばかり2ヵ月にわたるツイート記事は削除しました。たまの更新になるかもしれませんが、たまに覗いていただければ幸いです。これからまたよろしくお願いいたします。

DCPRGのライブを初めて見た@新木場

DCPRG@新木場STUDIO COAST(2012/04/12)。

先週、菊地成孔氏率いるDCPRGのライブに初参戦したので忘れぬうちにレポート。

会場には開演時間ぎりぎりに到着した。ちょうどステージではフロントアクトのキラースメルス菱田氏のバックで菊地氏はサックスを吹いていた。後にして思えば、この日菊地氏がサックスを演奏したのはこの時のみ。本編のDCPRGではサックスプレーヤーは2人もいて、本人は時折キーボードを弾き、CDJをこなし、時にはラッパーにもなるが、基本的にはコンダクターだった(つまり、キラースメルスに間に合わなかった人はサックスが聴けずじまいだったということになる:笑)。
つまり、DCPRGとはそういうバンドであり、ユニットなのだ。

CDでDCPRGを聴くと強く印象づけられるエレクトリック・マイルスの影響。だが、見た目の大人数とポリリズム的な要素にはいくぶん感じられるものの、ライブを見たところではマイルスへのオマージュ的な要素はあくまで今のDCPRGでは一要素では?と思った。両者を分けるのは、いわゆる「祝祭感」。この大人数のバンドから感じたのは、「みんないらっしゃい、一人ひとりの好きな感じで踊りましょうよ」というメッセージであり、ある種のハッピーなカオス的な空間を生み出す力だ。

しかし、これが踊りやすい音楽かというとまた違う。一気にフロアを乗せていく時間帯もあれば、客を突き放すかのようなシークエンスもある。拍の取りやすいファンク系のバンドと違って、そのノリはもっと細かく不規則に揺さぶられる感じだ。微妙な揺れであるとか、リズム的な訛り、ズレが生み出す複雑なビートなどが生演奏というアナログ的で計算できないものから生み出されていて、結果的にHIP HOPのライムのリズム感と近づいていく。そこが面白い。実際に、客演のSIMILAB(シミラボ)と合わせたときにはフロアの興奮も最高潮に達した。HIP HOPとの親和性……DCPRGというユニットの今日性がここにも表れている。途中に挿入された千住宗臣氏のドラムソロも、そうしたリズム的な訛りを絶妙なカタチでプレゼンテーションしたものだったし(緻密で、すごく良かったです)。

また感じたのは、このユニットは、ジャズ、ロック、ワールドミュージック、ファンク…いろいろなファン層のための入口を設けてある(ジャズ・オリエンテッドの)装置なのだなということ。間口を非常に広くとっていて、それはあざといという感想すら覚えるほどのウルトラ広角設定なのだ。その象徴的な存在が大村孝佳氏(g)。ロック色の強いギタープレイ、そしてビジュアル系と呼んでもよいルックス(床置きのファンで風を送りさらさらロングヘアーがたなびく演出が付くギタリストがジャズ界にいただろうか!笑)。ロック系のお客様も楽しめますよ、ビジュアル系のお客様もどうぞいらっしゃいという無言の菊地氏の呼びかけが大村氏というメディアを通じて舞台上手からガンガン送られてくるのだ。そしてステージ上のメンバーを見れば、コアなジャズファンに向けられた「エントランス」もあれば、ワールドミュージック系、さらにはオタク系それぞれに門戸が開かれている、そんな仕掛けも感じるし。

そう、これはDCPRGという、ひとつのフェスなのだろう。いろいろな個性のミュージシャンが重層的に生み出す音の万国博覧会に、いろいろな音楽嗜好・バックグランドを持つオーディエンスが集まり、それぞれのグルーヴと距離感でライブ体験をこれまたポリリズミックに楽しむという、非常に新しい楽しみ方のできるフェスなのだ。そして、その広い間口からこの狂乱のポリリズムフェスに取り込まれた聴衆たちはやがてどんな漏斗の細い管の中に収斂され、どこに連れて行かれるのだろう? その行き先は菊地氏だけが知っているのだろうか?(笑)

こうした、あらゆる要素をごった煮にしたミクスチャー的なライブが成立するのもジャズならでは、という言い方もできるかもなと思いつつ、音楽を通じて多くの面白いことを次々に提供してくれるジャズミュージシャン菊地成孔からはやはり目が離せないと感じた夜だった。

さて、ここからは余談。

◎途中、SIMI LABとのジョイントではあまりに盛り上がりすぎて、観客の大部分が「右手を差し出し人差し指立ててタテブリ」する、国内ロックフェスでよく見かける例の光景が現れたりした(このときは一瞬帰ろうかと思った:笑)。

◎それにしても、この日最大の収穫はSIMILAB。彼らのルックスやパフォーマンスを見ていると、日本も、知らず知らずのうちに、ずいぶん新しい時代にすでに突入してしまっているのだなと感慨深かったし、それを実感することは、けっこう心地よい体験だった。

◎隣にはマッシュルームカットの髪を狂ったように振り回して踊るヘッドバンキング男が、また目の前には頭髪爆発横揺れ男がいて、ステージに今一つ集中できずにいたのだが(笑)、面白かったのは本編のラストでマイルスのDuranのカバー『Duran feat. “DOPE”(78) by AMIRI BARAKA』が始まったとたんに、このヘッドバンキング男も横揺れ男も動きを止めてじっとステージを見ていたこと。たぶん、この曲がいちばんファンク、ロックに近くてノリが変わったからかも。いや、単に彼らが疲れたからかも(笑)。

◎このDuranは、ライブ前から自分としてはいちばん期待していた曲で、大村氏のギターが入る瞬間を今か今かと(頭髪爆発男の頭の隙間から覗き込んで)待ち構えていたのだが、残念なことに他の楽器の音が大きくて肝心のギターの音がよく聞こえなかった。残念!

◎さすがに類家心平氏のペットは凄い。この音のカオスの中ではサックスよりトランペットの音の方が断然立つ。そして、この大編成のバンドサウンドの背骨をしっかり支えているのはベースだということもよくわかった。そこにドラムを含めた他の楽器が乗っかっていって、色彩を添えていく感じだった。