2012年04月15日のツイート

お知らせと近況

記事にfacebookツイッターのボタンを新しく追加しました。どうぞよろしくお願いいたします。また性懲りもなくツイッター記事のまとめ投稿も検討中です。

前の記事ではギターのワークショップに参加しましたが、その後、リオのトップパーカッション奏者であるセルシーニョ・シルヴァさんのパンデイロ・ワークショップの初級編があるというので、叩いたこともないパンデイロを買って参加しました。筋肉痛と打ち身を起こすていたらくでしたが基本となるフォームの大切さを教えていただきました。右手はほとんど動かさず、左手で持ったパンデイロを右手に当てていく感じなんですね。これけっこう慣れるまでは大変です。まずはこの動作に慣れるよう反復して個人練習に励もうと思います。
終わってからセルシーニョさんと記念撮影していただき、パンデイロにサインをしてもらいました。考えてみればジョアン・リラさんの時もそうでしたが楽器を人に習うのは初めて。ギターは本格的にレッスン通おうかな、と思っています。

本場のブラジルギターはノリが違うのであった

1月14日、映画『哀しき獣(原題:黄海)』を新宿で観たあと(これ、アクションものの傑作です!)、ジョアン・リラ(João Lyra)氏をゲストに迎えてのギターワークショップ(基礎編)が恵比寿であるというので行ってきました。

ジョアン・リラさんはブラジル北東部のアラゴアス州生まれ。現在はリオデジャネイロを拠点に活躍する弦楽器奏者・作曲家・アレンジャーです。故・エリゼッチ・カルドーゾやナナ・カイミといったブラジルの超大物歌手のバンドメンバーとして、また、ガル・コスタ、ジルベルト・ジル、イヴァン・リンスカエターノ・ヴェローゾ、シコ・ヴァルキなど多くのMPBアーティストのレコーディングを支え、その参加アルバムは2000枚を超えるというプロ中のプロ。そんな大御所のギターが聴ける。そんな機会を逃すわけにはまいらぬ! 
ということで私もギターは少しだけ弾けるのですが、とりあえず今回は見学で参加しました。こんな大御所なのに、お会いするとにこやかに挨拶してくださり、とても大らかで気さくな人でした(体型も大らかww)。

ワークショップは、ジョアンさんがギターを弾きながら、ときに白板にリズムスコアを書いて説明しながら、それを日本語に適宜通訳するというかたちで進行。ギターを持参された方々がジョアンさんと一緒に演奏するシーンもありました。
右手の正しいフォーム(弦に対する角度)の解説から始まり、サンバとショーロの基本的なリズムパターンと奏法の説明、スウィングの生み方、運指のやリズムの練習方法、さらには他の楽器とのバンド演奏時の注意点などの豊富な内容を丁寧に、しかも熱く語っていただきました(通訳を待たずポルトガル語でガンガン話すジョアンさん。しかし、なんとなく分かるんだな、これが不思議:笑)。

ブラジルの一流ミュージシャンの生演奏を至近距離で聴いて感じたことは、第一にそのノリの素晴らしさ。音色自体は正確無比でクリアな音というよりはちょっとラフかな?と思うほどなのですが、とにかく鳴る鳴る! そして一音一音に付けるニュアンスが多彩で、一つとして同じ音がなく表情が豊か。とくにバイシャリーア(歌のメロディーに絡むように低音の対旋律を弾くサンバやショーロに特徴的なスタイル)が魅力的で、これには歌手はグッと来るだろうなあと感じました。一流の歌手たちが伴奏に彼を指名する理由もこんなところにもあるんでしょうね。

予定の2時間があっという間に経ち、最後にはギターソロで2曲も演奏していただき大満足。2月にはライブも計画中とか。ぜひ聴きに行きたいと思います。最後に握手していただいたときの優しい笑顔と手の厚さが印象的でした。

これはわが家にあるミウシャ(ブラジルの歌手でシコ・ブアルキのお姉さん)のアルバム。ジョアン・リラさんがほとんどの曲でギターを弾いています。

ジョアン・リラさんの演奏はこちらでも聴くことができます。http://www.myspace.com/joaolyra
また、動画サイトでナナ・カイミやミウシャのライブなどでも彼の姿が見られます。

2011の終わりに

いろいろあった2011。私にとってはミルトン・ナシメントをはじめブラジル音楽と出会えた記念すべき年になりました。関連するイベントやSNS等を通じて多くの音楽の先生や同好の方々とも新たにお知り合いになれて感謝しております。皆さんにとって来年がいい年になりますようお祈りいたします。
2011年の個人的ベストテンを、新譜と旧譜・再発ものの2ラインでメモします。どちらもほぼブラジル一色でした(笑)。

【2011新譜Best】
1. カルロス・カレッカ『alma boa de lugar nenhum』
2.ヴィクトリア・マルドナード『o que está acontecendo comigo』
3. マウリシオ・マエストロ Featuring ナナ・ヴァスコンセロス『Upside Down』
4. ジョー・ヘンリー『Reverie』
5. アドリアーナ・カルカニョット『o microbio do samba』
6. salyu×salyu『s(o)un(d)beams
7. ドス・オリエンターレス『Orienta』
8.アンドレ・メマーリ『afefuoso』
9. セルソ・フォンセカ『Voz e Violao』
10. シコ・ピニェイロ『There's A Storm Inside』

ただし、これに2010末発売分まで含むと、1位はエスペランサ・スポルディング『Chamber Music Society』にw さらに青葉市子『剃刀乙女』がランキングに入ります。


【2011旧譜・再発Best】
1. ミルトン・ナシメント※全作品
2. ヴァギネル・チゾ &ゼ・ヘナート『MEMORIAL』
3. アストル・ピアソラ『Tango Zero Hour』
4. エドゥワルド・グヂン『Eduardo Gudin』
5. マイルス・デイヴィスJack Johnson
6.カルトーラ『愛するマンゲイラ』
7. ボブ・ニューワース『Havana Midnight』
8. アドリアーナ・カルカニョット『PARTIMPIM』
9. エグベルト・ジスモンチ『AGUA & VINHO』
10. ヤマンドゥ・コスタ『Mafuá』

初見では語り尽くせない映画『サウダーヂ』を、取り急ぎ初見で語る

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて2012年最初の記事は年末に見た映画の感想です。ここ数年の日本映画で個人的にはいちばん「感じさせられた」映画としておすすめします。


年末に、映画『サウダーヂ』(監督:富田克也 製作:空族 『サウダーヂ』製作委員会)を見た。ついに2011年のベストワンの映画が来たという感想。甲府の街を舞台に、そこにうごめく日系ブラジル人、タイ人、派遣労働者をはじめさまざまな人物の生き様が描かれ、これまで見えなかった日本の地方都市の、さらには日本のリアルな現状と問題を考えさせてくれる映画だ。
この映画、ひとことでは説明しきれない面白さがある。おそらく複数回見ないとこの面白さは的確に表現できないだろう。ここでは現時点の感想を断片的にあげることにする。ネタバレしないよう十分注意するつもりだが気になる方はご鑑賞後にお読みいただきたい。

映画は全体に散文調で大きなストーリーがあるわけではない。一人ひとりの日常をほぼ均等に描写していく構成だ。ただし、個々の登場人物のストーリーはそれぞれに分断されていて、しかもほとんど相互にクロスしない。ここがまず新鮮。バラバラに存在する各エピソードが最後に大団円シーンを迎えるということもない。ドキュメンタリータッチでまるで散文詩のようである。その分見終わったあとの余韻は非常に大きい。

崩壊寸前の土木建築業を支える派遣労働者、不況が深刻化し真っ先に解雇される外国人労働者たち、国の家族を養うため飲食店でショーガール兼ホステスとして働くアジア人女性たち、自己破産し崩壊する家族、怪しげな商売に手を染める者、等々、この映画の登場人物たちは皆厳しい現実に身をさらしている。そしてほとんど全員(一部を除く)が、心のなかにそれぞれのサウダーヂを抱いている。ここではないどこか=自分のいるべき場所を求める心情——サウダーヂとはポルトガル語(ブラジル)で「郷愁」とか「思慕」「憧憬」に近い意味の言葉だそうだが、この個々人のサウダーヂは必ずしもその人を幸せにしない。

今いる場所がその個人にとって孤立感や閉塞感を高めるものであればあるほど、人はここではない場所へのサウダーヂを抱き、葛藤する。その感情は時に筋違いの敵意となり、悪態となり、ぶつける場所のない言葉に形を変える(リアルな不満の断片を歩きながらフリースタイルのラップに昇華させる「天野」のシーンはとくに素晴らしい!)。そしてまた別の登場人物の不満は焦りとなり、他者から見れば滑稽なほど現実離れした夢想へと姿をかえていく。こうしたどうしようもない孤立感と閉塞感、そしてそこから生まれる妄想の類は、地方都市出身の私には非常に共感できるが、これをもって単に地方都市の現実を描いた映画と決めつけるのは早計だろう。この映画のテーマはずっと広く、深い。むしろ労働や経済の映画といってもいいのではないか。そういう懐の深さがこの映画にはあると思う。

個々のストーリーがほとんど交差しないように、登場人物どうしも深いコミュニケーションに至らないのも興味深い。土木作業の現場でも同僚たちは互いに敬語を使用し、必要以上に深く関わろうとはしないし(ドラッグメイトになる「掘」と「保坂」にしても、結局はそのひとときだけの遊び相手という感じ)、日系ブラジル人と日本人のヒップホップグループ同士も張り合いはするものの直接的な抗争には発展しない(これも一部の「事件」を除く)。この深く関わらない感じが、よりいっそう人間の孤立感を際立たせる。誰にも頼れない感じ。めいめいが全く別の方向を向いている感じ。このあたりは地方だけのリアルではない。大都市に住む人にも思い当たる節があるのではないか。

不況や失職、転職、移住……こうした言葉が現実の問題として突きつけられる2011年末にあって、この映画の話は他人事ではない。「どんな中でもメシを食って行かなくてはいけない」という最低の課題、その一点においては私たちもこの映画に描かれた人々も変わるところはない。どんなにヒドイ状況でも何とか生きていく登場人物たちを見ているうちに言いようもない共感をおぼえ愛おしさを感じ始める理由はこんなところにもあるのだろうか。一見自分とは全く別世界の住人に見える登場人物一人ひとりのサウダーヂを共に感じる、そんな疑似体験もこの映画の面白さの一つだと感じた。

リアリティを徹底して積み重ね、言いようもない孤独と乗り越えられない壁に囲まれる絶望感を徹底的に描ききったあとで、「さて、あんたはどうするの?」と見る者に問いかける危険な映画。でもけっして暗くはない。全体的な印象はザッツ・エンタテインメント。ヒップホップムービーとしても評価を高めそうな一本。とにかくこの映画を見てほしい。きっとたくさんのことを感じるはず。2012には東京だけでなく各都市にも巡回予定とのこと。DVD化されないという噂なのでDon't miss it!

(追記)
最後に、街の人々のなかでは「美心会」の3人がもっともぶれず、クールな印象。きっと彼女たちには余計なサウダーヂがない。ここで生きていくしかないという開き直りがあるから、周囲の動きに敏感だし、現実的な判断ができる。うーむ、深い(笑)。

11月の音楽イベント2つ 〜違いのわかるリスナーになろう〜

もう12月、ということでいろいろあった2011年もラストスパート。しかし純喫茶アカザルは店主が近ごろ「SNS寄り合い」に通いっぱなしで不定期開店という体たらく(笑)。11月にもいろいろと課外活動に励んでいたのですが、ここでは2つの音楽関連のイベントについてレポートします。え? ひと月も前のネタをするなって? まあまあ、気長にお付き合い願います。なにしろ店主は日本のラテン地方出身。


■2011年11月3日「オトナの文化祭−文化系のためのヒップホップ入門」(講師:ライターの長谷川町蔵氏、慶應義塾大学准教授の大和田俊之氏)@朝日カルチャーセンター新宿校

ヒップホップは音楽ではなくて、むしろ「大喜利」である――そう考えを切り替えると、とたんに視界が広がる。『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテスパブリッシング)は知的刺激にあふれる書物だ。ヒップホップはもう一つよくわからんと思い、クラブカルチャーから疎外されがちだった「踊らない文化系音楽リスナー」である私にとっては大変ありがたい本である。その本の著者お二方が解説してくださるというイベント。
講義は、1970年代の黒人社会を取り巻く音楽的・社会的状況の解説から始まり、ブレイクビーツの発明とヒップホップの成り立ちから、その後、東部―西部―南部とメインストリームの舞台が遷移していったヒップホップの歴史と流れを映像や音源、資料とともに辿るというもの。さらに、現在のシーンやトレンドの概説、他ジャンルの音楽への影響なども紹介され、盛りだくさん。約2時間弱という短い時間にコンパクトに要点がまとめられ、とてもわかりやすい講義だった。
子どもギャング同士の「レペゼン対決」から始まったヒップホップ。そこでは、「より弁の立つヤツ」「より気の利いたやり方でプレゼンするヤツ」が勝者となる。そうした、落語の大喜利、あるいはプロレスのバトルロイヤルにも似た「芸の見せ合い」にルーツを持つヒップホップは、自己の魂を表現する音楽的創造性よりも「ウケるかどうか」にそもそもの軸足がある。音楽を極める修練の場というよりも、いわば、「社会で成り上がるための選手権大会」(ヒップホップでまずブレイクして、その後俳優になったり、メディアや実業界でスターになる人は多い。音楽は最終目標ではなく、あくまで出世の道具であり、入口に過ぎない。その点では日本のお笑い芸人と似ているという話を聞いて腑に落ちた)。なるほど、すべてはIt’s a game. ヒップホップを「音楽」ととらえるから、他人の曲をサンプリングして使うその根本への疑問が生まれるのだが、むしろ「音楽を道具にしたエンタメ」と思えば納得がいく。
これから自分がヒップホップをさらに掘り下げて聴くかどうかはわからない。しかし、表現方法の変化に伴い、受け取る側の意識も変わりつつあるカルチャーの大きな流れのなかで「ヒップホップ的なもの」はより多数派を占めていくだろうし、これからも注目したい。この講義で、そういったダイナミックな視点を得られたことはとてもありがたかった。著者お二人には大変感謝いたします。
余談だが、都会で暮らす孤独とかドラッグの問題など、かつてジャズやロックが担っていたものを今日ではヒップホップ(とくに東部の)が受け継いでいる。ヒップホップのスターがドラッグで若死にするのも“今”のカルチャーであるシグナルの一つかも(ロックの人は今や長生きをウリにしているし…)。

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)
【備考】ちなみに当日配布されたレジメに紹介されていたアーティストのなかで過去に私が1枚でもCDを買ったことがあるのは(わずかながら)こんな面々でした。
Beastie Boys, Wu-Tang-Clan, Public Enemy, 2Pac, CypressHill, Mary J Blige, TLC, N.E.R.D.



■2011年11月19日 TBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波〉プレゼンツ「初期少女時代とKARAの比較分析によるポップ・アナリーゼ講座」(講師:菊地成孔氏)@原宿Vacant

次は、毎週楽しみに聴いているラジオ番組のスピンオフイベント。大雨のこの日、原宿にある会場2階のカーペット敷き大広間に多数(300人以上いるように見えました)の参加者が集まった。開場時に敷かれていたたくさんの座布団はほぼ全部埋まり、立ち見の人までいる。かなりの酸欠状態、かなりの盛況ぶり。菊地氏の人気のほどがしのばれる。正面には講義用のコルグ社のキーボードKARMA。整理番号2番の幸運に浴した我々2名は正面後方の長椅子席をゲット。4時間の長丁場、腰痛持ちに加え胡座をかくと必ず大腿部を故障する私には大変ありがたかったww。
さてアナリーゼの内容だが、楽理のわかりやすい解説から始まり、その理論をもとに少女時代とKARAの代表的な楽曲の構造を解析するというもの。けっして容易ではない。
(以下、私もうろ覚えですけど思い出して書きますね。間違っていたらご指摘願います)
前半は、まず長調短調、ブルース、多/無調の調性から、平行長短調、同主長短調、ダイアトニック環境、コードの機能の解説までのいわゆる楽理のお話。菊地さんの板書(手元の紙に書いている様子をカメラが写す)に加えて、『Let It Be』『Penny Lane』『What’s Goin’ On』などいろいろな曲をKARMAで弾いてみせながら、「泣ける」あるいは「切ない」メロがどういう展開から生まれるかを明らかにしていく。さすが西洋音楽の理屈は鍵盤だとわかりやすい。ピアノやっておけばよかった…(笑)。でもおかげで今まで何度も挫折しモヤモヤしたままだったコード進行の謎に光明がさした気分。でも、完全に理解したかというと違いますけどね(笑)。ここまで約2時間。
その後休憩をはさんで(大人数のイベントに対応していないのかトイレの数が少なく大渋滞)、後半はマイナーダイアトニックの解説(ミニマムディスコの泣き進行1-3など ※通常はローマ数字で表記)のあと、いよいよ少女時代とKARAの楽曲の構造解析に入った。少女時代はMr. Taxi、GENIE、Run Devil Run、Bad Girl、Gee、Great Escape、THE BOYSの6曲、KARAはJumpin’ とMr. の2曲を取り上げ、各曲のキーと進行を一つずつ確認し、注目すべきポイントを取り上げつつ話は進む。そうした解析のなかから、GENIEとGee(前半部のみGreat Escapeも)がジャズでいうモード音階を使っていて、ポピュラーミュージックとしては画期的な構造を持っていることがわかりはじめる。例えばGENIEではサビの「Bm7-F#m7」は一瞬泣きのコード進行か? と思うがじつはこの曲のキーはF#m。これはサブドミナントのBmから始まるドリアンを使っていることによる錯覚なのだそうだ。きっちりとキーのF#mに戻ることなくBmドリアンのなかで「実家」のF#mに時々立ち寄るつくりのため、求心力が微妙に足りない、えもいわれぬ浮遊感を曲全体にもたらしている。ドミナントモーション付きの普通のパワーマイナーではなく、モーダルなクールマイナー。ここら辺が新しいのだそうです。
まあ、モードの話はもっとちゃんと勉強しないと詳しく説明できないのでこの辺にしますが(笑)、こんな私でも菊地さんの解説を聞いたその瞬間には「ほう、なるほど」と思ったのだから、ほんと説明うまい(笑)。ヘンな大学の先生より授業わかりやすい。あ、実際に大学の先生もなさっていましたか。
こうして4時間が過ぎ、講義のボーナストラックとして、K-POPの現状についての座談会コーナーがあり、これも非常に興味深かったのだが時間の関係により30分程度で終了。
非常に濃密なアナリーゼだった。「新しい」「何か違う!」と感じる音楽に出会ったとき、理論に関する知識があれば、その曲を分析することができ、どこが「新しい」のかを言語化できる。そうなればきっと音楽の楽しみ方が増えるはず。何度も挫折した楽理のお勉強、もう一度始めよう、そう思えた一日でありました。

ブラジル映画祭など、最近見たモノをつらつらと

秋ですなあ。皆さんいかがお過ごしですか。私、10月の後半はこんな感じで過ごしておりました(私生活は充実:笑)。↓

10月16日 ブラジル映画祭(渋谷ユーロスペース)。『MPB1967』『ノエル・ホーザ〜リオの詩人』を観る。

■『MPB1967』(原題:Uma Noite em 67 ヘナト・テーハ監督)はブラジルで毎年行われていたソング・フェスティバルのドキュメンタリー。1967年当時はブラジル軍事政権下にあったせいか、観客は欲求を爆発させるかのように騒ぎ続けていて相当にノイジー。放送の演出も考えて観客席にマイクを置いていたそうだが、それを差し引いてもすごい。それは初期のビートルズのライブ映像のようなけたたましさだ。出演するアーティストたちがこの観客のエネルギーとどう向き合い、芸の力でどのような方向にもっていったか、その一人ひとりの真剣勝負がこの映画のひとつの見所となっている。あるアーティストは鳴り止まない客のブーイングに逆ギレし、わざと音を外して歌い最後にはギターをたたき壊して観客席に投げ入れる。40年以上後のインタビューも収録されていて、当時の行動についての感想がアーティスト本人の口から語られるところも興味深い。若き日のカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ホベルト・カルロス、シコ・ブアルキなどはさすがに観客のあしらいがうまい。彼らの歌に知らず知らずのうちに会場全体が一体化していくさまをみていると、その後永く続く彼らの人気の秘密を垣間見るようだ。

■そしてノエル・ホーザは、ブラジルで1930年代に活躍した夭折のシンガー&ソングライター・ギタリスト。26年の短い生涯の中で200以上といわれる作品を残している。『ノエル・ホーザ〜リオの詩人』(原題:Noel Rosa, o Poeta da Vila e do Povo ダシオ・マルタ監督)は、イヴァン・リンスをはじめ数々の後進アーティストあるいは当時を知る人々による証言と貴重な写真や映像をもとにした伝記映画だ。彼については名前とあの特徴的な風貌を知るのみだったが、今回の伝記映画をみて、今さらながらにその類い希な詩人としての、そして作曲家としてのセンスに驚いた。また、リオの人々がどれだけ彼のことをいまでも尊敬し愛しているかを伝えるカーニヴァルのラストシーンでは、もう地球の反対側の私も涙腺がゆるみっぱなし。素晴らしい映画でした。映画館を出たその足で、思わず彼のベストアルバムも購入してしまった(笑)。当日はダシオ・マルタ監督も会場で挨拶され、質疑応答コーナーもあってイベントとしてもとても良かった。仕事が立て込み行くことを断念しかかっていたが、ムリしてでも観てよかった(ケペル木村さんの推薦ツィートに刺激されました)。

■10月22日は、またしても満島ひかりや出演者見たさに 映画「スマグラー」初日舞台挨拶(横浜ブルク13)へ。映画は飽きずに観たけれども、映画としての評価はどうかな(笑)。原作を読んでないのではっきりしたことは言えないがツメの甘さが随所にあったかな。

■そして夜はマルディマーレ(原宿)で「ケペル木村のブラジル音楽幻想夜話」エレクトリック・マイルス鑑賞会。69年以降75年頃までのさまざまな音源から、ライブ1曲目に演奏される”Directions”や”Turnaround”を徹底比較して聴きまくるという驚異のイベント。しかし、こうやって同一楽曲の別テイクを集中的に短時間で聴くと、同じ曲でもバンドのメンバーの構成や錬成度によってもずいぶんノリが違うことがわかる。メンバーがどんどん変わるマイルス・バンドについては、本で読むよりも、こうして聴き比べてみるとバンドとしての変遷のさまが実感として把握できる。刺激的。

■10月27日、フランスの友人の関係でネット上のお知り合いになったジャズ・ピアニストの方が参加しているグループのFM公開録音コンサートがNHKであり見に行った。デンマークのテナーサックス奏者がリーダーだが、その北欧ミュージシャンらしい端正な演奏は非常に心地よかった。

■10月28日は、遠縁にあたる関西の演出家・俳優がプロデュースする演劇を見に池袋の劇場へ。一人で行くのもなんなので観劇趣味のある大学時代の同級生O君に声をかけて、久々の小劇場体験。出し物は「蒲田行進曲」。演出家本人がこの東京公演の直前に入院するというハプニングもあったが、どうにか退院し間に合ったようだ。公演は昼と夜で別の配役・バージョンとなっていて、私が観たのは夜の「狂乱バージョン」。銀四郎(昔、風間杜夫さんがやっていた役)を女性、小夏を男性が演じるという趣向だが、この両者が達者なので違和感なく、というかむしろ倒錯した世界が展開され、非常によかったのではなかろうか。まあ、お笑い要素をふんだんに盛り込みつつも最後は生真面目に終わるといういつもの構成には、観る人によって好みが分かれるところだと思うが、個人的にはこれまで東京で観た彼らの公演のなかでは一番のまとまりだったと思った。健康に気をつけてこれからもますます演劇道を突き進んでください。

さて、これからもまだまだいろいろ観に行きますよ!