仕事の息抜きにブラジリアン・デー@代々木公園

今日は特急仕事を自宅で少し(少しかい!)やってからブラジルフェスティバル Brazilian Day 2012に行ってきました。
大変な盛況ぶり。まずは肉。シュハスコ

そして豆料理。フェイジアーダ

さらに酒。カイピリーニャ(飲み過ぎ)

そして最後は音楽。ジルベルト・ジルの娘さんで女優であり歌手であるプレッタ・ジルのステージで盛り上がり(一瞬、渡辺直美さんの姿が脳裏を横切りましたがww、素敵なMPBサウンドを聴かせてくれましたよ)。

ブラジルのテレビ番組の収録も行われ、会場は日系の人も含めてブラジルの方がたくさん。彼らは楽しみ方を知っていますね。一緒にいるこちらも楽しくなってくる。代々木公園にいながらにしてブラジルの雰囲気を味わうことができました。
代々木公園では他の国のフェスティバルも開かれているそうなのでまた訪れようと思います。職場からも近いのになかなか来る機会がなかったのはちょっともったいなかったかも。時間も日のあるうちに終了なのでおじさん&おばさんにもやさしいイベントでした。
そして、いつか本場にも行ってみたいという思いが湧いてきました。というか、来年のブラジルフェスティバルまでにはもう少しポルトガル語が聴けるように(できれば少し話せるように)なりたい。そう思えた日曜日でした。

笑顔の記憶

2月から当ブログもTwitter連携でしばしお茶を濁していたけれど、ソーシャル・ネットワーク・サービスもバカにできないというか、先日もFacebookで中学時代の友人から30年ぶりくらいに連絡をもらったりしてこれはこれでいいものだなと思う。

久しぶりに見た友だちのプロフィール写真は昔のぽっちゃりしたイメージより精悍な印象に変わっていて、自分の憶えている顔との同期をとるのに少しばかり時間を要した。
彼は実家の事業を継いでいていた。経営者としての厳しさが引き締まった顔をつくっているのかもしれない。いずれにせよ、自分の記憶の中の彼は丸々とした顔をして、ちょっと悪戯っぽい目をした朗らかな笑顔で登場するものだから、最初はちょっと意外に思った。一方で、自分のプロフィール写真は彼の目にはどう映ったのか、そんなことも気になったりして。

で、今日は「顔」のことを。「顔本」から始まった話ですし。

先日帰省したとき、母が「お父さんの顔も忘れてきたわ。だんだんどんな顔やったか忘れてきたよ」と言っていた。
父が亡くなって5年、そんなこともあるのだなと思いながら、私は同じ年に亡くなった親友の顔を思い浮かべていた。5年前まではあれほどクッキリと脳裏にあった親友の顔の輪郭も近ごろはボヤッと緩んだ感じになったなと感じていたので、母のそんなつぶやきもわからないではない。

親友は月が大好きな男だったから、彼の死後、私は自分を慰めるために「あいつは月に行ったにちがいない」と思うようにした。だから満月の夜などは月の模様が彼の顔に見えると自分に暗示をかけて、月と話をしたりした。そんな彼の顔の記憶も、ちょっとずつ薄れてきたのは事実だ。この5年の間に。

こんなふうに人は人と少しずつ本当のお別れをするのかもしれない。
肉親や親友の顔は完全に忘れることはないけれど、目に焼き付いた像も時間とともにフォルムが崩れ、だんだんと緩やかな記憶へと姿を変容させていく。むしろリアルなイメージが徐々に消えていくことで人は別離の悲しみの感情を克服していけるのかもしれないな、とも思う。

またFacebookでつながっている別の人が、好きだった親戚のおじさんが最近亡くなったという記事をアップしていた。大切な人を失う痛みが自分のことのように伝わった。
慰めの言葉をひねり出そうとするうちに、ひとつのことに気づいた。自分にとって、亡くなった人や、大好きだった人のことを思い返すたび、彼(彼女)らの笑った顔しか思い浮かばないということに。

不満げな顔や、怒った顔、泣いた顔などもいろいろ見たはずなのに、そういう顔は少なくとも私の脳裏にあるディスプレイ上のアイコンとしては登場しない。
現れるのは、ニコッとした笑顔、無邪気な笑顔、悪戯っぽい笑顔、慈愛に富んだ笑顔……。種類は違うものの、全員が全員、笑顔でこちらを見ている。亡くなった叔父も、父も、親友も、あるいは(存命だが)長い年月会っていない友達や先輩・後輩も、一人残らず笑っていて、記憶の中にいる人はみんないい顔をしているのだ。

好きな人の好きな顔のことしか記憶できないように自分の身体はプログラミングされているのかもしれない。PCで言うと、「いい顔フォルダー」に笑った顔の記憶が自動で保存されていくように。思えば、なんという幸せなプログラムだろう!

たぶん私たちは、たくさんの人たちとの温かい関係、笑顔の記憶によって生かされている存在なのだ。

このやさしい笑顔の記憶も、時間が経ち年齢を重ねるうちに少しずつそのカタチを変え、やがてぼんやりとした皮膚感覚のようなものになっていくのかもしれない。
それでも私は思う。さまざまな人たちとの優しく楽しい記憶が自分を力づけて、こうやって生き延びさせてくれるのだと。

だからこそ、自分も(近ごろ忘れがちだけれど)なるべく笑っていたいなと思います。まわりの人たちの記憶のなかで、少しでもいい笑顔で登場できるように。

店主ご挨拶。ツイートに頼ってどないすんねん

2月以降しばらくバタバタしていたのでTwitter連携サービスを使ってお茶を濁しておりましたが、やはりここはブログ。えいや!とばかり2ヵ月にわたるツイート記事は削除しました。たまの更新になるかもしれませんが、たまに覗いていただければ幸いです。これからまたよろしくお願いいたします。

DCPRGのライブを初めて見た@新木場

DCPRG@新木場STUDIO COAST(2012/04/12)。

先週、菊地成孔氏率いるDCPRGのライブに初参戦したので忘れぬうちにレポート。

会場には開演時間ぎりぎりに到着した。ちょうどステージではフロントアクトのキラースメルス菱田氏のバックで菊地氏はサックスを吹いていた。後にして思えば、この日菊地氏がサックスを演奏したのはこの時のみ。本編のDCPRGではサックスプレーヤーは2人もいて、本人は時折キーボードを弾き、CDJをこなし、時にはラッパーにもなるが、基本的にはコンダクターだった(つまり、キラースメルスに間に合わなかった人はサックスが聴けずじまいだったということになる:笑)。
つまり、DCPRGとはそういうバンドであり、ユニットなのだ。

CDでDCPRGを聴くと強く印象づけられるエレクトリック・マイルスの影響。だが、見た目の大人数とポリリズム的な要素にはいくぶん感じられるものの、ライブを見たところではマイルスへのオマージュ的な要素はあくまで今のDCPRGでは一要素では?と思った。両者を分けるのは、いわゆる「祝祭感」。この大人数のバンドから感じたのは、「みんないらっしゃい、一人ひとりの好きな感じで踊りましょうよ」というメッセージであり、ある種のハッピーなカオス的な空間を生み出す力だ。

しかし、これが踊りやすい音楽かというとまた違う。一気にフロアを乗せていく時間帯もあれば、客を突き放すかのようなシークエンスもある。拍の取りやすいファンク系のバンドと違って、そのノリはもっと細かく不規則に揺さぶられる感じだ。微妙な揺れであるとか、リズム的な訛り、ズレが生み出す複雑なビートなどが生演奏というアナログ的で計算できないものから生み出されていて、結果的にHIP HOPのライムのリズム感と近づいていく。そこが面白い。実際に、客演のSIMILAB(シミラボ)と合わせたときにはフロアの興奮も最高潮に達した。HIP HOPとの親和性……DCPRGというユニットの今日性がここにも表れている。途中に挿入された千住宗臣氏のドラムソロも、そうしたリズム的な訛りを絶妙なカタチでプレゼンテーションしたものだったし(緻密で、すごく良かったです)。

また感じたのは、このユニットは、ジャズ、ロック、ワールドミュージック、ファンク…いろいろなファン層のための入口を設けてある(ジャズ・オリエンテッドの)装置なのだなということ。間口を非常に広くとっていて、それはあざといという感想すら覚えるほどのウルトラ広角設定なのだ。その象徴的な存在が大村孝佳氏(g)。ロック色の強いギタープレイ、そしてビジュアル系と呼んでもよいルックス(床置きのファンで風を送りさらさらロングヘアーがたなびく演出が付くギタリストがジャズ界にいただろうか!笑)。ロック系のお客様も楽しめますよ、ビジュアル系のお客様もどうぞいらっしゃいという無言の菊地氏の呼びかけが大村氏というメディアを通じて舞台上手からガンガン送られてくるのだ。そしてステージ上のメンバーを見れば、コアなジャズファンに向けられた「エントランス」もあれば、ワールドミュージック系、さらにはオタク系それぞれに門戸が開かれている、そんな仕掛けも感じるし。

そう、これはDCPRGという、ひとつのフェスなのだろう。いろいろな個性のミュージシャンが重層的に生み出す音の万国博覧会に、いろいろな音楽嗜好・バックグランドを持つオーディエンスが集まり、それぞれのグルーヴと距離感でライブ体験をこれまたポリリズミックに楽しむという、非常に新しい楽しみ方のできるフェスなのだ。そして、その広い間口からこの狂乱のポリリズムフェスに取り込まれた聴衆たちはやがてどんな漏斗の細い管の中に収斂され、どこに連れて行かれるのだろう? その行き先は菊地氏だけが知っているのだろうか?(笑)

こうした、あらゆる要素をごった煮にしたミクスチャー的なライブが成立するのもジャズならでは、という言い方もできるかもなと思いつつ、音楽を通じて多くの面白いことを次々に提供してくれるジャズミュージシャン菊地成孔からはやはり目が離せないと感じた夜だった。

さて、ここからは余談。

◎途中、SIMI LABとのジョイントではあまりに盛り上がりすぎて、観客の大部分が「右手を差し出し人差し指立ててタテブリ」する、国内ロックフェスでよく見かける例の光景が現れたりした(このときは一瞬帰ろうかと思った:笑)。

◎それにしても、この日最大の収穫はSIMILAB。彼らのルックスやパフォーマンスを見ていると、日本も、知らず知らずのうちに、ずいぶん新しい時代にすでに突入してしまっているのだなと感慨深かったし、それを実感することは、けっこう心地よい体験だった。

◎隣にはマッシュルームカットの髪を狂ったように振り回して踊るヘッドバンキング男が、また目の前には頭髪爆発横揺れ男がいて、ステージに今一つ集中できずにいたのだが(笑)、面白かったのは本編のラストでマイルスのDuranのカバー『Duran feat. “DOPE”(78) by AMIRI BARAKA』が始まったとたんに、このヘッドバンキング男も横揺れ男も動きを止めてじっとステージを見ていたこと。たぶん、この曲がいちばんファンク、ロックに近くてノリが変わったからかも。いや、単に彼らが疲れたからかも(笑)。

◎このDuranは、ライブ前から自分としてはいちばん期待していた曲で、大村氏のギターが入る瞬間を今か今かと(頭髪爆発男の頭の隙間から覗き込んで)待ち構えていたのだが、残念なことに他の楽器の音が大きくて肝心のギターの音がよく聞こえなかった。残念!

◎さすがに類家心平氏のペットは凄い。この音のカオスの中ではサックスよりトランペットの音の方が断然立つ。そして、この大編成のバンドサウンドの背骨をしっかり支えているのはベースだということもよくわかった。そこにドラムを含めた他の楽器が乗っかっていって、色彩を添えていく感じだった。

2012年04月15日のツイート

お知らせと近況

記事にfacebookツイッターのボタンを新しく追加しました。どうぞよろしくお願いいたします。また性懲りもなくツイッター記事のまとめ投稿も検討中です。

前の記事ではギターのワークショップに参加しましたが、その後、リオのトップパーカッション奏者であるセルシーニョ・シルヴァさんのパンデイロ・ワークショップの初級編があるというので、叩いたこともないパンデイロを買って参加しました。筋肉痛と打ち身を起こすていたらくでしたが基本となるフォームの大切さを教えていただきました。右手はほとんど動かさず、左手で持ったパンデイロを右手に当てていく感じなんですね。これけっこう慣れるまでは大変です。まずはこの動作に慣れるよう反復して個人練習に励もうと思います。
終わってからセルシーニョさんと記念撮影していただき、パンデイロにサインをしてもらいました。考えてみればジョアン・リラさんの時もそうでしたが楽器を人に習うのは初めて。ギターは本格的にレッスン通おうかな、と思っています。

本場のブラジルギターはノリが違うのであった

1月14日、映画『哀しき獣(原題:黄海)』を新宿で観たあと(これ、アクションものの傑作です!)、ジョアン・リラ(João Lyra)氏をゲストに迎えてのギターワークショップ(基礎編)が恵比寿であるというので行ってきました。

ジョアン・リラさんはブラジル北東部のアラゴアス州生まれ。現在はリオデジャネイロを拠点に活躍する弦楽器奏者・作曲家・アレンジャーです。故・エリゼッチ・カルドーゾやナナ・カイミといったブラジルの超大物歌手のバンドメンバーとして、また、ガル・コスタ、ジルベルト・ジル、イヴァン・リンスカエターノ・ヴェローゾ、シコ・ヴァルキなど多くのMPBアーティストのレコーディングを支え、その参加アルバムは2000枚を超えるというプロ中のプロ。そんな大御所のギターが聴ける。そんな機会を逃すわけにはまいらぬ! 
ということで私もギターは少しだけ弾けるのですが、とりあえず今回は見学で参加しました。こんな大御所なのに、お会いするとにこやかに挨拶してくださり、とても大らかで気さくな人でした(体型も大らかww)。

ワークショップは、ジョアンさんがギターを弾きながら、ときに白板にリズムスコアを書いて説明しながら、それを日本語に適宜通訳するというかたちで進行。ギターを持参された方々がジョアンさんと一緒に演奏するシーンもありました。
右手の正しいフォーム(弦に対する角度)の解説から始まり、サンバとショーロの基本的なリズムパターンと奏法の説明、スウィングの生み方、運指のやリズムの練習方法、さらには他の楽器とのバンド演奏時の注意点などの豊富な内容を丁寧に、しかも熱く語っていただきました(通訳を待たずポルトガル語でガンガン話すジョアンさん。しかし、なんとなく分かるんだな、これが不思議:笑)。

ブラジルの一流ミュージシャンの生演奏を至近距離で聴いて感じたことは、第一にそのノリの素晴らしさ。音色自体は正確無比でクリアな音というよりはちょっとラフかな?と思うほどなのですが、とにかく鳴る鳴る! そして一音一音に付けるニュアンスが多彩で、一つとして同じ音がなく表情が豊か。とくにバイシャリーア(歌のメロディーに絡むように低音の対旋律を弾くサンバやショーロに特徴的なスタイル)が魅力的で、これには歌手はグッと来るだろうなあと感じました。一流の歌手たちが伴奏に彼を指名する理由もこんなところにもあるんでしょうね。

予定の2時間があっという間に経ち、最後にはギターソロで2曲も演奏していただき大満足。2月にはライブも計画中とか。ぜひ聴きに行きたいと思います。最後に握手していただいたときの優しい笑顔と手の厚さが印象的でした。

これはわが家にあるミウシャ(ブラジルの歌手でシコ・ブアルキのお姉さん)のアルバム。ジョアン・リラさんがほとんどの曲でギターを弾いています。

ジョアン・リラさんの演奏はこちらでも聴くことができます。http://www.myspace.com/joaolyra
また、動画サイトでナナ・カイミやミウシャのライブなどでも彼の姿が見られます。