2011の終わりに

いろいろあった2011。私にとってはミルトン・ナシメントをはじめブラジル音楽と出会えた記念すべき年になりました。関連するイベントやSNS等を通じて多くの音楽の先生や同好の方々とも新たにお知り合いになれて感謝しております。皆さんにとって来年がいい年になりますようお祈りいたします。
2011年の個人的ベストテンを、新譜と旧譜・再発ものの2ラインでメモします。どちらもほぼブラジル一色でした(笑)。

【2011新譜Best】
1. カルロス・カレッカ『alma boa de lugar nenhum』
2.ヴィクトリア・マルドナード『o que está acontecendo comigo』
3. マウリシオ・マエストロ Featuring ナナ・ヴァスコンセロス『Upside Down』
4. ジョー・ヘンリー『Reverie』
5. アドリアーナ・カルカニョット『o microbio do samba』
6. salyu×salyu『s(o)un(d)beams
7. ドス・オリエンターレス『Orienta』
8.アンドレ・メマーリ『afefuoso』
9. セルソ・フォンセカ『Voz e Violao』
10. シコ・ピニェイロ『There's A Storm Inside』

ただし、これに2010末発売分まで含むと、1位はエスペランサ・スポルディング『Chamber Music Society』にw さらに青葉市子『剃刀乙女』がランキングに入ります。


【2011旧譜・再発Best】
1. ミルトン・ナシメント※全作品
2. ヴァギネル・チゾ &ゼ・ヘナート『MEMORIAL』
3. アストル・ピアソラ『Tango Zero Hour』
4. エドゥワルド・グヂン『Eduardo Gudin』
5. マイルス・デイヴィスJack Johnson
6.カルトーラ『愛するマンゲイラ』
7. ボブ・ニューワース『Havana Midnight』
8. アドリアーナ・カルカニョット『PARTIMPIM』
9. エグベルト・ジスモンチ『AGUA & VINHO』
10. ヤマンドゥ・コスタ『Mafuá』

初見では語り尽くせない映画『サウダーヂ』を、取り急ぎ初見で語る

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて2012年最初の記事は年末に見た映画の感想です。ここ数年の日本映画で個人的にはいちばん「感じさせられた」映画としておすすめします。


年末に、映画『サウダーヂ』(監督:富田克也 製作:空族 『サウダーヂ』製作委員会)を見た。ついに2011年のベストワンの映画が来たという感想。甲府の街を舞台に、そこにうごめく日系ブラジル人、タイ人、派遣労働者をはじめさまざまな人物の生き様が描かれ、これまで見えなかった日本の地方都市の、さらには日本のリアルな現状と問題を考えさせてくれる映画だ。
この映画、ひとことでは説明しきれない面白さがある。おそらく複数回見ないとこの面白さは的確に表現できないだろう。ここでは現時点の感想を断片的にあげることにする。ネタバレしないよう十分注意するつもりだが気になる方はご鑑賞後にお読みいただきたい。

映画は全体に散文調で大きなストーリーがあるわけではない。一人ひとりの日常をほぼ均等に描写していく構成だ。ただし、個々の登場人物のストーリーはそれぞれに分断されていて、しかもほとんど相互にクロスしない。ここがまず新鮮。バラバラに存在する各エピソードが最後に大団円シーンを迎えるということもない。ドキュメンタリータッチでまるで散文詩のようである。その分見終わったあとの余韻は非常に大きい。

崩壊寸前の土木建築業を支える派遣労働者、不況が深刻化し真っ先に解雇される外国人労働者たち、国の家族を養うため飲食店でショーガール兼ホステスとして働くアジア人女性たち、自己破産し崩壊する家族、怪しげな商売に手を染める者、等々、この映画の登場人物たちは皆厳しい現実に身をさらしている。そしてほとんど全員(一部を除く)が、心のなかにそれぞれのサウダーヂを抱いている。ここではないどこか=自分のいるべき場所を求める心情——サウダーヂとはポルトガル語(ブラジル)で「郷愁」とか「思慕」「憧憬」に近い意味の言葉だそうだが、この個々人のサウダーヂは必ずしもその人を幸せにしない。

今いる場所がその個人にとって孤立感や閉塞感を高めるものであればあるほど、人はここではない場所へのサウダーヂを抱き、葛藤する。その感情は時に筋違いの敵意となり、悪態となり、ぶつける場所のない言葉に形を変える(リアルな不満の断片を歩きながらフリースタイルのラップに昇華させる「天野」のシーンはとくに素晴らしい!)。そしてまた別の登場人物の不満は焦りとなり、他者から見れば滑稽なほど現実離れした夢想へと姿をかえていく。こうしたどうしようもない孤立感と閉塞感、そしてそこから生まれる妄想の類は、地方都市出身の私には非常に共感できるが、これをもって単に地方都市の現実を描いた映画と決めつけるのは早計だろう。この映画のテーマはずっと広く、深い。むしろ労働や経済の映画といってもいいのではないか。そういう懐の深さがこの映画にはあると思う。

個々のストーリーがほとんど交差しないように、登場人物どうしも深いコミュニケーションに至らないのも興味深い。土木作業の現場でも同僚たちは互いに敬語を使用し、必要以上に深く関わろうとはしないし(ドラッグメイトになる「掘」と「保坂」にしても、結局はそのひとときだけの遊び相手という感じ)、日系ブラジル人と日本人のヒップホップグループ同士も張り合いはするものの直接的な抗争には発展しない(これも一部の「事件」を除く)。この深く関わらない感じが、よりいっそう人間の孤立感を際立たせる。誰にも頼れない感じ。めいめいが全く別の方向を向いている感じ。このあたりは地方だけのリアルではない。大都市に住む人にも思い当たる節があるのではないか。

不況や失職、転職、移住……こうした言葉が現実の問題として突きつけられる2011年末にあって、この映画の話は他人事ではない。「どんな中でもメシを食って行かなくてはいけない」という最低の課題、その一点においては私たちもこの映画に描かれた人々も変わるところはない。どんなにヒドイ状況でも何とか生きていく登場人物たちを見ているうちに言いようもない共感をおぼえ愛おしさを感じ始める理由はこんなところにもあるのだろうか。一見自分とは全く別世界の住人に見える登場人物一人ひとりのサウダーヂを共に感じる、そんな疑似体験もこの映画の面白さの一つだと感じた。

リアリティを徹底して積み重ね、言いようもない孤独と乗り越えられない壁に囲まれる絶望感を徹底的に描ききったあとで、「さて、あんたはどうするの?」と見る者に問いかける危険な映画。でもけっして暗くはない。全体的な印象はザッツ・エンタテインメント。ヒップホップムービーとしても評価を高めそうな一本。とにかくこの映画を見てほしい。きっとたくさんのことを感じるはず。2012には東京だけでなく各都市にも巡回予定とのこと。DVD化されないという噂なのでDon't miss it!

(追記)
最後に、街の人々のなかでは「美心会」の3人がもっともぶれず、クールな印象。きっと彼女たちには余計なサウダーヂがない。ここで生きていくしかないという開き直りがあるから、周囲の動きに敏感だし、現実的な判断ができる。うーむ、深い(笑)。

11月の音楽イベント2つ 〜違いのわかるリスナーになろう〜

もう12月、ということでいろいろあった2011年もラストスパート。しかし純喫茶アカザルは店主が近ごろ「SNS寄り合い」に通いっぱなしで不定期開店という体たらく(笑)。11月にもいろいろと課外活動に励んでいたのですが、ここでは2つの音楽関連のイベントについてレポートします。え? ひと月も前のネタをするなって? まあまあ、気長にお付き合い願います。なにしろ店主は日本のラテン地方出身。


■2011年11月3日「オトナの文化祭−文化系のためのヒップホップ入門」(講師:ライターの長谷川町蔵氏、慶應義塾大学准教授の大和田俊之氏)@朝日カルチャーセンター新宿校

ヒップホップは音楽ではなくて、むしろ「大喜利」である――そう考えを切り替えると、とたんに視界が広がる。『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテスパブリッシング)は知的刺激にあふれる書物だ。ヒップホップはもう一つよくわからんと思い、クラブカルチャーから疎外されがちだった「踊らない文化系音楽リスナー」である私にとっては大変ありがたい本である。その本の著者お二方が解説してくださるというイベント。
講義は、1970年代の黒人社会を取り巻く音楽的・社会的状況の解説から始まり、ブレイクビーツの発明とヒップホップの成り立ちから、その後、東部―西部―南部とメインストリームの舞台が遷移していったヒップホップの歴史と流れを映像や音源、資料とともに辿るというもの。さらに、現在のシーンやトレンドの概説、他ジャンルの音楽への影響なども紹介され、盛りだくさん。約2時間弱という短い時間にコンパクトに要点がまとめられ、とてもわかりやすい講義だった。
子どもギャング同士の「レペゼン対決」から始まったヒップホップ。そこでは、「より弁の立つヤツ」「より気の利いたやり方でプレゼンするヤツ」が勝者となる。そうした、落語の大喜利、あるいはプロレスのバトルロイヤルにも似た「芸の見せ合い」にルーツを持つヒップホップは、自己の魂を表現する音楽的創造性よりも「ウケるかどうか」にそもそもの軸足がある。音楽を極める修練の場というよりも、いわば、「社会で成り上がるための選手権大会」(ヒップホップでまずブレイクして、その後俳優になったり、メディアや実業界でスターになる人は多い。音楽は最終目標ではなく、あくまで出世の道具であり、入口に過ぎない。その点では日本のお笑い芸人と似ているという話を聞いて腑に落ちた)。なるほど、すべてはIt’s a game. ヒップホップを「音楽」ととらえるから、他人の曲をサンプリングして使うその根本への疑問が生まれるのだが、むしろ「音楽を道具にしたエンタメ」と思えば納得がいく。
これから自分がヒップホップをさらに掘り下げて聴くかどうかはわからない。しかし、表現方法の変化に伴い、受け取る側の意識も変わりつつあるカルチャーの大きな流れのなかで「ヒップホップ的なもの」はより多数派を占めていくだろうし、これからも注目したい。この講義で、そういったダイナミックな視点を得られたことはとてもありがたかった。著者お二人には大変感謝いたします。
余談だが、都会で暮らす孤独とかドラッグの問題など、かつてジャズやロックが担っていたものを今日ではヒップホップ(とくに東部の)が受け継いでいる。ヒップホップのスターがドラッグで若死にするのも“今”のカルチャーであるシグナルの一つかも(ロックの人は今や長生きをウリにしているし…)。

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)
【備考】ちなみに当日配布されたレジメに紹介されていたアーティストのなかで過去に私が1枚でもCDを買ったことがあるのは(わずかながら)こんな面々でした。
Beastie Boys, Wu-Tang-Clan, Public Enemy, 2Pac, CypressHill, Mary J Blige, TLC, N.E.R.D.



■2011年11月19日 TBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波〉プレゼンツ「初期少女時代とKARAの比較分析によるポップ・アナリーゼ講座」(講師:菊地成孔氏)@原宿Vacant

次は、毎週楽しみに聴いているラジオ番組のスピンオフイベント。大雨のこの日、原宿にある会場2階のカーペット敷き大広間に多数(300人以上いるように見えました)の参加者が集まった。開場時に敷かれていたたくさんの座布団はほぼ全部埋まり、立ち見の人までいる。かなりの酸欠状態、かなりの盛況ぶり。菊地氏の人気のほどがしのばれる。正面には講義用のコルグ社のキーボードKARMA。整理番号2番の幸運に浴した我々2名は正面後方の長椅子席をゲット。4時間の長丁場、腰痛持ちに加え胡座をかくと必ず大腿部を故障する私には大変ありがたかったww。
さてアナリーゼの内容だが、楽理のわかりやすい解説から始まり、その理論をもとに少女時代とKARAの代表的な楽曲の構造を解析するというもの。けっして容易ではない。
(以下、私もうろ覚えですけど思い出して書きますね。間違っていたらご指摘願います)
前半は、まず長調短調、ブルース、多/無調の調性から、平行長短調、同主長短調、ダイアトニック環境、コードの機能の解説までのいわゆる楽理のお話。菊地さんの板書(手元の紙に書いている様子をカメラが写す)に加えて、『Let It Be』『Penny Lane』『What’s Goin’ On』などいろいろな曲をKARMAで弾いてみせながら、「泣ける」あるいは「切ない」メロがどういう展開から生まれるかを明らかにしていく。さすが西洋音楽の理屈は鍵盤だとわかりやすい。ピアノやっておけばよかった…(笑)。でもおかげで今まで何度も挫折しモヤモヤしたままだったコード進行の謎に光明がさした気分。でも、完全に理解したかというと違いますけどね(笑)。ここまで約2時間。
その後休憩をはさんで(大人数のイベントに対応していないのかトイレの数が少なく大渋滞)、後半はマイナーダイアトニックの解説(ミニマムディスコの泣き進行1-3など ※通常はローマ数字で表記)のあと、いよいよ少女時代とKARAの楽曲の構造解析に入った。少女時代はMr. Taxi、GENIE、Run Devil Run、Bad Girl、Gee、Great Escape、THE BOYSの6曲、KARAはJumpin’ とMr. の2曲を取り上げ、各曲のキーと進行を一つずつ確認し、注目すべきポイントを取り上げつつ話は進む。そうした解析のなかから、GENIEとGee(前半部のみGreat Escapeも)がジャズでいうモード音階を使っていて、ポピュラーミュージックとしては画期的な構造を持っていることがわかりはじめる。例えばGENIEではサビの「Bm7-F#m7」は一瞬泣きのコード進行か? と思うがじつはこの曲のキーはF#m。これはサブドミナントのBmから始まるドリアンを使っていることによる錯覚なのだそうだ。きっちりとキーのF#mに戻ることなくBmドリアンのなかで「実家」のF#mに時々立ち寄るつくりのため、求心力が微妙に足りない、えもいわれぬ浮遊感を曲全体にもたらしている。ドミナントモーション付きの普通のパワーマイナーではなく、モーダルなクールマイナー。ここら辺が新しいのだそうです。
まあ、モードの話はもっとちゃんと勉強しないと詳しく説明できないのでこの辺にしますが(笑)、こんな私でも菊地さんの解説を聞いたその瞬間には「ほう、なるほど」と思ったのだから、ほんと説明うまい(笑)。ヘンな大学の先生より授業わかりやすい。あ、実際に大学の先生もなさっていましたか。
こうして4時間が過ぎ、講義のボーナストラックとして、K-POPの現状についての座談会コーナーがあり、これも非常に興味深かったのだが時間の関係により30分程度で終了。
非常に濃密なアナリーゼだった。「新しい」「何か違う!」と感じる音楽に出会ったとき、理論に関する知識があれば、その曲を分析することができ、どこが「新しい」のかを言語化できる。そうなればきっと音楽の楽しみ方が増えるはず。何度も挫折した楽理のお勉強、もう一度始めよう、そう思えた一日でありました。

ブラジル映画祭など、最近見たモノをつらつらと

秋ですなあ。皆さんいかがお過ごしですか。私、10月の後半はこんな感じで過ごしておりました(私生活は充実:笑)。↓

10月16日 ブラジル映画祭(渋谷ユーロスペース)。『MPB1967』『ノエル・ホーザ〜リオの詩人』を観る。

■『MPB1967』(原題:Uma Noite em 67 ヘナト・テーハ監督)はブラジルで毎年行われていたソング・フェスティバルのドキュメンタリー。1967年当時はブラジル軍事政権下にあったせいか、観客は欲求を爆発させるかのように騒ぎ続けていて相当にノイジー。放送の演出も考えて観客席にマイクを置いていたそうだが、それを差し引いてもすごい。それは初期のビートルズのライブ映像のようなけたたましさだ。出演するアーティストたちがこの観客のエネルギーとどう向き合い、芸の力でどのような方向にもっていったか、その一人ひとりの真剣勝負がこの映画のひとつの見所となっている。あるアーティストは鳴り止まない客のブーイングに逆ギレし、わざと音を外して歌い最後にはギターをたたき壊して観客席に投げ入れる。40年以上後のインタビューも収録されていて、当時の行動についての感想がアーティスト本人の口から語られるところも興味深い。若き日のカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ホベルト・カルロス、シコ・ブアルキなどはさすがに観客のあしらいがうまい。彼らの歌に知らず知らずのうちに会場全体が一体化していくさまをみていると、その後永く続く彼らの人気の秘密を垣間見るようだ。

■そしてノエル・ホーザは、ブラジルで1930年代に活躍した夭折のシンガー&ソングライター・ギタリスト。26年の短い生涯の中で200以上といわれる作品を残している。『ノエル・ホーザ〜リオの詩人』(原題:Noel Rosa, o Poeta da Vila e do Povo ダシオ・マルタ監督)は、イヴァン・リンスをはじめ数々の後進アーティストあるいは当時を知る人々による証言と貴重な写真や映像をもとにした伝記映画だ。彼については名前とあの特徴的な風貌を知るのみだったが、今回の伝記映画をみて、今さらながらにその類い希な詩人としての、そして作曲家としてのセンスに驚いた。また、リオの人々がどれだけ彼のことをいまでも尊敬し愛しているかを伝えるカーニヴァルのラストシーンでは、もう地球の反対側の私も涙腺がゆるみっぱなし。素晴らしい映画でした。映画館を出たその足で、思わず彼のベストアルバムも購入してしまった(笑)。当日はダシオ・マルタ監督も会場で挨拶され、質疑応答コーナーもあってイベントとしてもとても良かった。仕事が立て込み行くことを断念しかかっていたが、ムリしてでも観てよかった(ケペル木村さんの推薦ツィートに刺激されました)。

■10月22日は、またしても満島ひかりや出演者見たさに 映画「スマグラー」初日舞台挨拶(横浜ブルク13)へ。映画は飽きずに観たけれども、映画としての評価はどうかな(笑)。原作を読んでないのではっきりしたことは言えないがツメの甘さが随所にあったかな。

■そして夜はマルディマーレ(原宿)で「ケペル木村のブラジル音楽幻想夜話」エレクトリック・マイルス鑑賞会。69年以降75年頃までのさまざまな音源から、ライブ1曲目に演奏される”Directions”や”Turnaround”を徹底比較して聴きまくるという驚異のイベント。しかし、こうやって同一楽曲の別テイクを集中的に短時間で聴くと、同じ曲でもバンドのメンバーの構成や錬成度によってもずいぶんノリが違うことがわかる。メンバーがどんどん変わるマイルス・バンドについては、本で読むよりも、こうして聴き比べてみるとバンドとしての変遷のさまが実感として把握できる。刺激的。

■10月27日、フランスの友人の関係でネット上のお知り合いになったジャズ・ピアニストの方が参加しているグループのFM公開録音コンサートがNHKであり見に行った。デンマークのテナーサックス奏者がリーダーだが、その北欧ミュージシャンらしい端正な演奏は非常に心地よかった。

■10月28日は、遠縁にあたる関西の演出家・俳優がプロデュースする演劇を見に池袋の劇場へ。一人で行くのもなんなので観劇趣味のある大学時代の同級生O君に声をかけて、久々の小劇場体験。出し物は「蒲田行進曲」。演出家本人がこの東京公演の直前に入院するというハプニングもあったが、どうにか退院し間に合ったようだ。公演は昼と夜で別の配役・バージョンとなっていて、私が観たのは夜の「狂乱バージョン」。銀四郎(昔、風間杜夫さんがやっていた役)を女性、小夏を男性が演じるという趣向だが、この両者が達者なので違和感なく、というかむしろ倒錯した世界が展開され、非常によかったのではなかろうか。まあ、お笑い要素をふんだんに盛り込みつつも最後は生真面目に終わるといういつもの構成には、観る人によって好みが分かれるところだと思うが、個人的にはこれまで東京で観た彼らの公演のなかでは一番のまとまりだったと思った。健康に気をつけてこれからもますます演劇道を突き進んでください。

さて、これからもまだまだいろいろ観に行きますよ!

2011年10月24日のツイート

松島・仙台・山寺 誕生日の旅

さて、もう一週間以上前の話になりますが10月の連休を使って仙台に行ってきました。大学生のときに住んでいた仙台も久しぶり。そして震災の後に訪れるのは初めて。そのときのメモを備忘録としてアップします。ちょっと長いです。


■奥松島

何年かぶりの仙台旅行。

新幹線で行く途中の郡山や福島の街が、去年秋の岩手旅行の時とはまったく別の感慨をもって目に飛び込んでくる。

仙台に着いて、まっさきに松島方面に向かった。
石ノ森章太郎のキャラクターが賑やかに描かれた電車は東塩釜駅までの往復運転。
ここで乗り換えてひと駅先の松島海岸駅に行くが、その先、東松島のY駅までは電車が使えない。津波で線路や駅舎が被害を受けたままだからだ。

JR代行バスに乗り換えて、浸水被害を乗り越え賑わいを取り戻した松島海岸の街を抜け、海沿いの道を行く。
バスにはたくさんの人が乗車しているが、誰一人として声を発する人はいない。

息詰まるような厳粛な空気。なかには鎮魂の旅に来ている人もいるかもしれない。そのような想像が乗客一人ひとりの口を重くしているのだろうか。

車窓から見える人通りは徐々に少なくなり、海側の地面には津波被害の痕跡が少しずつそのカタチを現し始める。

その爪痕は、Nという地域にもっとも色濃く表れていた。
駅舎は完全に崩壊し、線路は断ち切られ、信号機や鉄塔は折れ曲がったまま。

運河をはさんで海側の地域もさることながら、さらに驚かされたのが駅舎のある山側の家々の被害の大きさだ。
家そのものがなくなって更地になっている場所がほとんど。ところどころに壊れた家がポツリポツリと立っている。

それらの家は外観こそ残っていても窓は破れ、屋内はたいてい破壊され尽くされている。縦に半分を失った家、倒壊したままの家……。使われなくなり、雑草が生えたままの田んぼや畑。ここにあった生活が、一瞬にして破壊された。その現実に打ちのめされる。

浸水したまま広大な水田のようになった一帯もある。

このN地区は、自分が学生時代、海水浴などに訪れた思い出深い土地だ。その当時の風景を思い出すことができないほどの壊滅的な被害状況。3.11から7ヵ月近くが過ぎ、瓦礫などはかなり片付けが済んだ状態のはずだが、それでもこの光景には「何も始まっていない」ことをイヤでも感じさせられる。

現地の人たちの気持ちを思うと、この光景にとてもカメラを向けることなんてできない。せめて目に焼き付けておこう、忘れないように。そう思いながらバスでY駅〜松島海岸を往復した。


■松島海岸

さて松島海岸。10年ほど前に夫婦で訪れた時には遊覧船に乗った。
ところが、我々が乗船するタイミングを狙ったかのように突然、海上に濃霧が広がり、出航する頃にはほんの数メートル先も真っ白で何も見えないほどの状態になった。
日本三景のひとつである景色も海も何も見えない「白の世界」。私はそれでも過去に遊覧したことがあるからよいが、カミさんにとって松島とはただの「白いところ」。何も見えなかったのだから不憫だ。
今回はそのリベンジ。幸い天気はいい。
出航時間まで30分くらいあったので、沿道のお店でサザエの壺焼き、イカ焼き、そして笹かまぼこで一杯。相当にいい気分になってから遊覧船に乗り込む。
はじめは屋内のベンチシートに座ったが、ガラス越しでは視界が悪いので、後方のデッキに出た。無数のゆりかもめたちが、乗客の差し出すかっぱえびせんに誘われ四方八方から飛来してくる。昨年秋に行った宮古の楽しかった旅を思い出す。

今回は、さまざまなカタチの島々、奇岩の数々がキレイに見える。隅田川を行く船内で流れる橋案内のナレーションと同様、島に関する蘊蓄を順に紹介するだけの船内放送はまあ芸がないといえば芸がないのだが、ある意味、昭和の昔から変わらぬ観光地のリラックスした雰囲気を演出してくれているようでこれもまた心地よい。
海は非常に穏やかで、西に傾きかけた日の光を受けて波がキラキラと美しく輝いている。あのように荒れ狂い、大きな被害を沿岸部の人々にもたらしたことが嘘のようだ。

そっと海に向かって黙祷する。

その夜は仙台に宿泊。大学時代の友達おすすめの牛タン屋さん(美味!)、そして街を彷徨して、稲荷小路の炉端焼き(これまた美味しくて安価)。

ちょうどこの連休に開催されているYOSAKOI祭のせいか、各地からの参加者や旅行客で街は賑わっている。国分町をはじめとする夜の街の活気も少しずつ戻ってきている様子だ。

■仙台〜山寺

翌朝、ホテルをチェックアウトして仙台駅からJR仙山線に乗って山形方面へ。
途中、駅前にマンションが林立したベッドタウンが見える。仙台の近郊もずいぶん変わったなと感じる。
「山寺」駅に着き、正面に見える山の断崖にお堂を発見。すごい、これは初めて見る風景。
しかし、よくあんなところに建物を作ったなと感嘆の声をあげつつ歩く。そう、最初のうちは気楽なもの。しかし、徐々に高度が上がっていくにつれて階段を上る足取りも重くなり、息も上がってくる。これはね、けっこうきついですよ。日頃積極的に歩くように努めている我々だが、途中で2回休憩。うちの奥さんに至っては不慮の転倒をして手のひらと指に擦り傷をつくる始末。足も思うように運べないほど疲労してくる。
しかし、そうやって登り切ったほぼ最上部に建つ「五大堂」からの景色はじつにすばらしい。眼前に山々とその合間の集落が広がり、眼下に山寺の駅が小さく見える。ちょうどこの五大堂で撮影されたトミー・リー・ジョーンズと有吉広行のCMが今流れているが、CMのように一句詠みたくなるような絶景。もうちょっと人が少なければもっと景色を楽しめたのだが…

下りはやはり格段にラク。山寺の駅前で蕎麦でも食べようかとも思ったが、何しろ電車の本数の少ない路線なのでまずは次の目的地に移動しようと、とりあえず来た電車に乗り込む。

■NIKKA宮城峡蒸留所〜仙台

温泉で有名な「作並」駅に降り立つ。
…しかし何もない。駅前には店もなく、タクシーもない。いるのは温泉旅館のマイクロバスとNIKKA工場見学者用のシャトルバスだけだった。しまった、食事のあてが外れた。

シャトルバスに乗り、NIKKAへ。学生時代、15年くらい前、そして今回と、ここを訪れるのは人生3回目。それほどに気持ちのいい施設なのである。
山と川に囲まれたこの蒸留所は、緑と赤煉瓦のマッチングも美しく、しかもウィスキーの製造工程を勉強でき、さらにウィスキーの試飲付きという嬉しい場所なのである。前回はクルマで来たため妻の試飲を横で羨ましそうにガン見していただけだった私も、今回はバス客なので飲めるのだ。試飲も20分の制限時間付きだった某工場とはちがい、ここはそういうケチケチしたことは言わないから好きだ(2011年現在)。
実際に今回もウィスキー3種類とアップルワインの4タイプを美味しいつまみ(こちらは有料)とともにしっかりいただいた。ありがとう、NIKKA!

ささやかなお礼として宮城峡蒸留所製造のウィスキーも1瓶購入し、構内をブラブラ散策。
以前は敷地横を流れる広瀬川の河原で水遊びもできたのだが、いまはフェンスで仕切られていて残念。いろいろ安全上の問題があるのだろうな。
街路樹が生い茂る長い誘導路を歩いて、正門を出た。橋をわたったところにある停留所から今度は市営バスに乗って仙台市内へ。
途中渋滞もあったが、広瀬川沿いに走る国道は、気持ちいい。さすがは杜の都
そして、市街地に入り、昔住んでいた八幡や柏木近辺を通る。懐かしさとともに街の様子の変貌ぶりも確認してひとしきり感傷にふける。
仙台の中心部に戻ったところで下車。カミさんの擦り傷保護の絆創膏を薬局で買い求めてから、昨晩とは別の牛タン屋に入って早めの夕食を済ませた。

そのあと、新幹線まで少しだけ時間があったので、地元の百貨店へ行ってみた。仙台在住の友人から「君とまったく同じ生年月日の画家が個展をやっているのでよかったら見てきたら」と言われていたからだ。
百貨店のギャラリースペースでは外国の街や風景を描いた美しい絵が展示されていた。作者の優しいまなざしがじわっと伝わってくるいい絵だと感じた。なかでも、黒一色で線画のように描かれたシリーズに心惹かれた。
会場にいらっしゃった作者の方に自己紹介し、感動の対面を果たす。まったく同じ日数を生きてきた人との握手。そして、まさに今日が我々二人の誕生日なのだ(笑)。お互いにお祝いのエールを交わす。
こんな誕生日もなかなかいいな。私はなんとも嬉しい気分になりながら、短くも有意義な旅行を終えるべく仙台駅に向かったのであった。

松島海岸で食べたイカとサザエ。笹かまぼこは土産に買いました。