11月の音楽イベント2つ 〜違いのわかるリスナーになろう〜

もう12月、ということでいろいろあった2011年もラストスパート。しかし純喫茶アカザルは店主が近ごろ「SNS寄り合い」に通いっぱなしで不定期開店という体たらく(笑)。11月にもいろいろと課外活動に励んでいたのですが、ここでは2つの音楽関連のイベントについてレポートします。え? ひと月も前のネタをするなって? まあまあ、気長にお付き合い願います。なにしろ店主は日本のラテン地方出身。


■2011年11月3日「オトナの文化祭−文化系のためのヒップホップ入門」(講師:ライターの長谷川町蔵氏、慶應義塾大学准教授の大和田俊之氏)@朝日カルチャーセンター新宿校

ヒップホップは音楽ではなくて、むしろ「大喜利」である――そう考えを切り替えると、とたんに視界が広がる。『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテスパブリッシング)は知的刺激にあふれる書物だ。ヒップホップはもう一つよくわからんと思い、クラブカルチャーから疎外されがちだった「踊らない文化系音楽リスナー」である私にとっては大変ありがたい本である。その本の著者お二方が解説してくださるというイベント。
講義は、1970年代の黒人社会を取り巻く音楽的・社会的状況の解説から始まり、ブレイクビーツの発明とヒップホップの成り立ちから、その後、東部―西部―南部とメインストリームの舞台が遷移していったヒップホップの歴史と流れを映像や音源、資料とともに辿るというもの。さらに、現在のシーンやトレンドの概説、他ジャンルの音楽への影響なども紹介され、盛りだくさん。約2時間弱という短い時間にコンパクトに要点がまとめられ、とてもわかりやすい講義だった。
子どもギャング同士の「レペゼン対決」から始まったヒップホップ。そこでは、「より弁の立つヤツ」「より気の利いたやり方でプレゼンするヤツ」が勝者となる。そうした、落語の大喜利、あるいはプロレスのバトルロイヤルにも似た「芸の見せ合い」にルーツを持つヒップホップは、自己の魂を表現する音楽的創造性よりも「ウケるかどうか」にそもそもの軸足がある。音楽を極める修練の場というよりも、いわば、「社会で成り上がるための選手権大会」(ヒップホップでまずブレイクして、その後俳優になったり、メディアや実業界でスターになる人は多い。音楽は最終目標ではなく、あくまで出世の道具であり、入口に過ぎない。その点では日本のお笑い芸人と似ているという話を聞いて腑に落ちた)。なるほど、すべてはIt’s a game. ヒップホップを「音楽」ととらえるから、他人の曲をサンプリングして使うその根本への疑問が生まれるのだが、むしろ「音楽を道具にしたエンタメ」と思えば納得がいく。
これから自分がヒップホップをさらに掘り下げて聴くかどうかはわからない。しかし、表現方法の変化に伴い、受け取る側の意識も変わりつつあるカルチャーの大きな流れのなかで「ヒップホップ的なもの」はより多数派を占めていくだろうし、これからも注目したい。この講義で、そういったダイナミックな視点を得られたことはとてもありがたかった。著者お二人には大変感謝いたします。
余談だが、都会で暮らす孤独とかドラッグの問題など、かつてジャズやロックが担っていたものを今日ではヒップホップ(とくに東部の)が受け継いでいる。ヒップホップのスターがドラッグで若死にするのも“今”のカルチャーであるシグナルの一つかも(ロックの人は今や長生きをウリにしているし…)。

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)
【備考】ちなみに当日配布されたレジメに紹介されていたアーティストのなかで過去に私が1枚でもCDを買ったことがあるのは(わずかながら)こんな面々でした。
Beastie Boys, Wu-Tang-Clan, Public Enemy, 2Pac, CypressHill, Mary J Blige, TLC, N.E.R.D.



■2011年11月19日 TBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波〉プレゼンツ「初期少女時代とKARAの比較分析によるポップ・アナリーゼ講座」(講師:菊地成孔氏)@原宿Vacant

次は、毎週楽しみに聴いているラジオ番組のスピンオフイベント。大雨のこの日、原宿にある会場2階のカーペット敷き大広間に多数(300人以上いるように見えました)の参加者が集まった。開場時に敷かれていたたくさんの座布団はほぼ全部埋まり、立ち見の人までいる。かなりの酸欠状態、かなりの盛況ぶり。菊地氏の人気のほどがしのばれる。正面には講義用のコルグ社のキーボードKARMA。整理番号2番の幸運に浴した我々2名は正面後方の長椅子席をゲット。4時間の長丁場、腰痛持ちに加え胡座をかくと必ず大腿部を故障する私には大変ありがたかったww。
さてアナリーゼの内容だが、楽理のわかりやすい解説から始まり、その理論をもとに少女時代とKARAの代表的な楽曲の構造を解析するというもの。けっして容易ではない。
(以下、私もうろ覚えですけど思い出して書きますね。間違っていたらご指摘願います)
前半は、まず長調短調、ブルース、多/無調の調性から、平行長短調、同主長短調、ダイアトニック環境、コードの機能の解説までのいわゆる楽理のお話。菊地さんの板書(手元の紙に書いている様子をカメラが写す)に加えて、『Let It Be』『Penny Lane』『What’s Goin’ On』などいろいろな曲をKARMAで弾いてみせながら、「泣ける」あるいは「切ない」メロがどういう展開から生まれるかを明らかにしていく。さすが西洋音楽の理屈は鍵盤だとわかりやすい。ピアノやっておけばよかった…(笑)。でもおかげで今まで何度も挫折しモヤモヤしたままだったコード進行の謎に光明がさした気分。でも、完全に理解したかというと違いますけどね(笑)。ここまで約2時間。
その後休憩をはさんで(大人数のイベントに対応していないのかトイレの数が少なく大渋滞)、後半はマイナーダイアトニックの解説(ミニマムディスコの泣き進行1-3など ※通常はローマ数字で表記)のあと、いよいよ少女時代とKARAの楽曲の構造解析に入った。少女時代はMr. Taxi、GENIE、Run Devil Run、Bad Girl、Gee、Great Escape、THE BOYSの6曲、KARAはJumpin’ とMr. の2曲を取り上げ、各曲のキーと進行を一つずつ確認し、注目すべきポイントを取り上げつつ話は進む。そうした解析のなかから、GENIEとGee(前半部のみGreat Escapeも)がジャズでいうモード音階を使っていて、ポピュラーミュージックとしては画期的な構造を持っていることがわかりはじめる。例えばGENIEではサビの「Bm7-F#m7」は一瞬泣きのコード進行か? と思うがじつはこの曲のキーはF#m。これはサブドミナントのBmから始まるドリアンを使っていることによる錯覚なのだそうだ。きっちりとキーのF#mに戻ることなくBmドリアンのなかで「実家」のF#mに時々立ち寄るつくりのため、求心力が微妙に足りない、えもいわれぬ浮遊感を曲全体にもたらしている。ドミナントモーション付きの普通のパワーマイナーではなく、モーダルなクールマイナー。ここら辺が新しいのだそうです。
まあ、モードの話はもっとちゃんと勉強しないと詳しく説明できないのでこの辺にしますが(笑)、こんな私でも菊地さんの解説を聞いたその瞬間には「ほう、なるほど」と思ったのだから、ほんと説明うまい(笑)。ヘンな大学の先生より授業わかりやすい。あ、実際に大学の先生もなさっていましたか。
こうして4時間が過ぎ、講義のボーナストラックとして、K-POPの現状についての座談会コーナーがあり、これも非常に興味深かったのだが時間の関係により30分程度で終了。
非常に濃密なアナリーゼだった。「新しい」「何か違う!」と感じる音楽に出会ったとき、理論に関する知識があれば、その曲を分析することができ、どこが「新しい」のかを言語化できる。そうなればきっと音楽の楽しみ方が増えるはず。何度も挫折した楽理のお勉強、もう一度始めよう、そう思えた一日でありました。