松島・仙台・山寺 誕生日の旅

さて、もう一週間以上前の話になりますが10月の連休を使って仙台に行ってきました。大学生のときに住んでいた仙台も久しぶり。そして震災の後に訪れるのは初めて。そのときのメモを備忘録としてアップします。ちょっと長いです。


■奥松島

何年かぶりの仙台旅行。

新幹線で行く途中の郡山や福島の街が、去年秋の岩手旅行の時とはまったく別の感慨をもって目に飛び込んでくる。

仙台に着いて、まっさきに松島方面に向かった。
石ノ森章太郎のキャラクターが賑やかに描かれた電車は東塩釜駅までの往復運転。
ここで乗り換えてひと駅先の松島海岸駅に行くが、その先、東松島のY駅までは電車が使えない。津波で線路や駅舎が被害を受けたままだからだ。

JR代行バスに乗り換えて、浸水被害を乗り越え賑わいを取り戻した松島海岸の街を抜け、海沿いの道を行く。
バスにはたくさんの人が乗車しているが、誰一人として声を発する人はいない。

息詰まるような厳粛な空気。なかには鎮魂の旅に来ている人もいるかもしれない。そのような想像が乗客一人ひとりの口を重くしているのだろうか。

車窓から見える人通りは徐々に少なくなり、海側の地面には津波被害の痕跡が少しずつそのカタチを現し始める。

その爪痕は、Nという地域にもっとも色濃く表れていた。
駅舎は完全に崩壊し、線路は断ち切られ、信号機や鉄塔は折れ曲がったまま。

運河をはさんで海側の地域もさることながら、さらに驚かされたのが駅舎のある山側の家々の被害の大きさだ。
家そのものがなくなって更地になっている場所がほとんど。ところどころに壊れた家がポツリポツリと立っている。

それらの家は外観こそ残っていても窓は破れ、屋内はたいてい破壊され尽くされている。縦に半分を失った家、倒壊したままの家……。使われなくなり、雑草が生えたままの田んぼや畑。ここにあった生活が、一瞬にして破壊された。その現実に打ちのめされる。

浸水したまま広大な水田のようになった一帯もある。

このN地区は、自分が学生時代、海水浴などに訪れた思い出深い土地だ。その当時の風景を思い出すことができないほどの壊滅的な被害状況。3.11から7ヵ月近くが過ぎ、瓦礫などはかなり片付けが済んだ状態のはずだが、それでもこの光景には「何も始まっていない」ことをイヤでも感じさせられる。

現地の人たちの気持ちを思うと、この光景にとてもカメラを向けることなんてできない。せめて目に焼き付けておこう、忘れないように。そう思いながらバスでY駅〜松島海岸を往復した。


■松島海岸

さて松島海岸。10年ほど前に夫婦で訪れた時には遊覧船に乗った。
ところが、我々が乗船するタイミングを狙ったかのように突然、海上に濃霧が広がり、出航する頃にはほんの数メートル先も真っ白で何も見えないほどの状態になった。
日本三景のひとつである景色も海も何も見えない「白の世界」。私はそれでも過去に遊覧したことがあるからよいが、カミさんにとって松島とはただの「白いところ」。何も見えなかったのだから不憫だ。
今回はそのリベンジ。幸い天気はいい。
出航時間まで30分くらいあったので、沿道のお店でサザエの壺焼き、イカ焼き、そして笹かまぼこで一杯。相当にいい気分になってから遊覧船に乗り込む。
はじめは屋内のベンチシートに座ったが、ガラス越しでは視界が悪いので、後方のデッキに出た。無数のゆりかもめたちが、乗客の差し出すかっぱえびせんに誘われ四方八方から飛来してくる。昨年秋に行った宮古の楽しかった旅を思い出す。

今回は、さまざまなカタチの島々、奇岩の数々がキレイに見える。隅田川を行く船内で流れる橋案内のナレーションと同様、島に関する蘊蓄を順に紹介するだけの船内放送はまあ芸がないといえば芸がないのだが、ある意味、昭和の昔から変わらぬ観光地のリラックスした雰囲気を演出してくれているようでこれもまた心地よい。
海は非常に穏やかで、西に傾きかけた日の光を受けて波がキラキラと美しく輝いている。あのように荒れ狂い、大きな被害を沿岸部の人々にもたらしたことが嘘のようだ。

そっと海に向かって黙祷する。

その夜は仙台に宿泊。大学時代の友達おすすめの牛タン屋さん(美味!)、そして街を彷徨して、稲荷小路の炉端焼き(これまた美味しくて安価)。

ちょうどこの連休に開催されているYOSAKOI祭のせいか、各地からの参加者や旅行客で街は賑わっている。国分町をはじめとする夜の街の活気も少しずつ戻ってきている様子だ。

■仙台〜山寺

翌朝、ホテルをチェックアウトして仙台駅からJR仙山線に乗って山形方面へ。
途中、駅前にマンションが林立したベッドタウンが見える。仙台の近郊もずいぶん変わったなと感じる。
「山寺」駅に着き、正面に見える山の断崖にお堂を発見。すごい、これは初めて見る風景。
しかし、よくあんなところに建物を作ったなと感嘆の声をあげつつ歩く。そう、最初のうちは気楽なもの。しかし、徐々に高度が上がっていくにつれて階段を上る足取りも重くなり、息も上がってくる。これはね、けっこうきついですよ。日頃積極的に歩くように努めている我々だが、途中で2回休憩。うちの奥さんに至っては不慮の転倒をして手のひらと指に擦り傷をつくる始末。足も思うように運べないほど疲労してくる。
しかし、そうやって登り切ったほぼ最上部に建つ「五大堂」からの景色はじつにすばらしい。眼前に山々とその合間の集落が広がり、眼下に山寺の駅が小さく見える。ちょうどこの五大堂で撮影されたトミー・リー・ジョーンズと有吉広行のCMが今流れているが、CMのように一句詠みたくなるような絶景。もうちょっと人が少なければもっと景色を楽しめたのだが…

下りはやはり格段にラク。山寺の駅前で蕎麦でも食べようかとも思ったが、何しろ電車の本数の少ない路線なのでまずは次の目的地に移動しようと、とりあえず来た電車に乗り込む。

■NIKKA宮城峡蒸留所〜仙台

温泉で有名な「作並」駅に降り立つ。
…しかし何もない。駅前には店もなく、タクシーもない。いるのは温泉旅館のマイクロバスとNIKKA工場見学者用のシャトルバスだけだった。しまった、食事のあてが外れた。

シャトルバスに乗り、NIKKAへ。学生時代、15年くらい前、そして今回と、ここを訪れるのは人生3回目。それほどに気持ちのいい施設なのである。
山と川に囲まれたこの蒸留所は、緑と赤煉瓦のマッチングも美しく、しかもウィスキーの製造工程を勉強でき、さらにウィスキーの試飲付きという嬉しい場所なのである。前回はクルマで来たため妻の試飲を横で羨ましそうにガン見していただけだった私も、今回はバス客なので飲めるのだ。試飲も20分の制限時間付きだった某工場とはちがい、ここはそういうケチケチしたことは言わないから好きだ(2011年現在)。
実際に今回もウィスキー3種類とアップルワインの4タイプを美味しいつまみ(こちらは有料)とともにしっかりいただいた。ありがとう、NIKKA!

ささやかなお礼として宮城峡蒸留所製造のウィスキーも1瓶購入し、構内をブラブラ散策。
以前は敷地横を流れる広瀬川の河原で水遊びもできたのだが、いまはフェンスで仕切られていて残念。いろいろ安全上の問題があるのだろうな。
街路樹が生い茂る長い誘導路を歩いて、正門を出た。橋をわたったところにある停留所から今度は市営バスに乗って仙台市内へ。
途中渋滞もあったが、広瀬川沿いに走る国道は、気持ちいい。さすがは杜の都
そして、市街地に入り、昔住んでいた八幡や柏木近辺を通る。懐かしさとともに街の様子の変貌ぶりも確認してひとしきり感傷にふける。
仙台の中心部に戻ったところで下車。カミさんの擦り傷保護の絆創膏を薬局で買い求めてから、昨晩とは別の牛タン屋に入って早めの夕食を済ませた。

そのあと、新幹線まで少しだけ時間があったので、地元の百貨店へ行ってみた。仙台在住の友人から「君とまったく同じ生年月日の画家が個展をやっているのでよかったら見てきたら」と言われていたからだ。
百貨店のギャラリースペースでは外国の街や風景を描いた美しい絵が展示されていた。作者の優しいまなざしがじわっと伝わってくるいい絵だと感じた。なかでも、黒一色で線画のように描かれたシリーズに心惹かれた。
会場にいらっしゃった作者の方に自己紹介し、感動の対面を果たす。まったく同じ日数を生きてきた人との握手。そして、まさに今日が我々二人の誕生日なのだ(笑)。お互いにお祝いのエールを交わす。
こんな誕生日もなかなかいいな。私はなんとも嬉しい気分になりながら、短くも有意義な旅行を終えるべく仙台駅に向かったのであった。

松島海岸で食べたイカとサザエ。笹かまぼこは土産に買いました。