電車で『五重塔』。そして風評被害を吹き飛ばせ

ケータイの液晶画面とにらめっこしている人がずらりと並ぶ電車内。あれ、第三者から見ると相当にヘンな絵だ。そんなワン・オブ・ゼムに堕することを頑なに拒否し、電車内では文庫本を読み続けてきた私だったが、近頃の節電ムーブメントのなか減灯走行中の車内では文庫本を読むのはちと目につらい。そこは活字中毒者の端くれ、背に腹はかえられぬと、先週からスマートフォン電子書籍を読み始めた。液晶のバックライトなら暗い場所でも大丈夫だし、満員の車内でもスペースがとりやすいのは助かる(あと、老眼傾向の出てきた身には文字サイズが拡大できる点もありがたい)。
「i文庫」というアプリを数百円払ってスマフォにインストールすると著作権の切れた昔の作家たちの小説や随筆が好きなだけ読めるのだが、そのなかから幸田露伴(1867-1947)の『五重塔』を読み始めた。この小説、読んで驚くのは文章の一文一文の長さ。延々と読点でつながって、ようやく句点が出たと思ったらそこは章の終わりだったりする(笑)。今は文章とは短く簡潔な方がよいとされるが、それとはまったく真逆であって、長い長い。会話も括弧に入れたりしない。しかし読み始めるとこれが不思議なことにその長さも気にならないほど文章のテンポが小気味よい。いわば文章全体がひとつの楽曲のような旋律の流れがあって気持ちよいのだ。例えば、其の二の冒頭部、ちょっと長めに引用させていただくと…

 (略:途中から)清吉却つて心羞かしく、何やら魂魄の底の方がむづ痒いやうに覚えられ、茶碗取る手もおづ/\として進みかぬるばかり、済みませぬといふ辞誼を二度ほど繰返せし後、漸く乾き切つたる舌を湿す間もあらせず、今頃の帰りとは余り可愛がられ過ぎたの、ホヽ、遊ぶはよけれど職業の間(ま)を欠いて母親に心配さするやうでは、男振が悪いではないか清吉、汝は此頃仲町甲州屋様の御本宅の仕事が済むと直に根岸の御別荘の御茶席の方へ廻らせられて居るではないか、良人のも遊ぶは随分好で汝達の先に立つて騒ぐは毎なれど、職業を粗略にするは大の嫌ひ、今若し汝の顔でも見たらば又例の青筋を立つるに定つて居るを知らぬでもあるまいに、さあ少し遅くはなつたれど母親の持病が起つたとか何とか方便は幾干でもつくべし、早う根岸へ行くがよい、五三様も了つた人なれば一日をふてゝ怠惰ぬに免じて、見透かしても旦那の前は庇護ふて呉るゝであらう、おゝ朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳を其方へこしらへよ、湯豆腐に蛤鍋とは行かぬが新漬に煮豆でも構はぬはのう、二三杯かつこんで直と仕事に走りやれ走りやれ、ホヽ睡くても昨夜をおもへば堪忍の成らうに精を惜むな辛防せよ、よいは弁当も松に持たせて遣るは、と苦くはなけれど効験ある薬の行きとゞいた意見に、汗を出して身の不始末を慚づる正直者の清吉。

やっと「。」出てきた(笑)。前半部分を省略してもこの長さ。しかし、生き生きとした文章だとは思いませんか。連綿と続く文はふつう読む側にも体力が要求されるものだが、すーっと気持ちよく読んでいけるのはさすがです。『五重塔』は、腕はいいものの世間にいまひとつ評価されない職人が、えらい坊さんに見込まれて五重塔の棟梁となり世に認められていく過程を描いた話(らしい)。一気に50ページほど読んだが、これからさらに読み進めるのが楽しみだ。
それにしてもどうして幸田露伴なんて読み始めたのか? それは次回のお話にしましょうか。

さて、昨日は有楽町の東京交通会館マルシェというイベントスペースに行き、福島や茨城の野菜や果物、お肉などが直販されるというので電車乗って買いに行きました。地震津波だけでも大変なのに風評被害で苦労しておられる被災地の産品をこれからもできる限り購入しようと思います。5月8日まで開催しているようです。東北だけでなく北海道から沖縄までの各地の産品もいろいろ出ているのでお近くの方にはおすすめします。

テレビ取材も入って盛況の茨城・福島ブース