クルマ維持と新聞購読に関する我が家的仕分け考察

事業仕分けなど、国家予算の見直しが行われている。
わが家でも、寒風吹きすさぶ経済環境にあって月々の家計の見直しが行われる昨今である。
例えばクルマ。この、便利ではあるが1トン級のカネ食い虫。通勤に使わない場合、週に半日程度の利用のために年間どれほどの維持費という名の福澤さんが右から左へ流れていくことか。思えばこの3月には車検である。一気に売却して自転車ロードレーサーに転身するか、それともクルマ社会への隷属を続けるか、思案のしどころだ。
そして新聞。皆さん、新聞どうしていますか。かつて、新聞(朝・夕)をとって読むことは大人の要件のひとつだった。その社説などは学校の試験に出たりもした。しかし、今や大新聞に払う月々4,000円近くの金額は完全に仕分けの対象といえる。
なにもスマートフォンやWEBで新聞記事が読めるからではない。新聞の紙メディアとしての情報の一覧性や扱いやすさ(包み紙やゴミ処理にも使える!)はよく承知しているつもりだし、新聞の役割は簡単にデジタルもので代用できるものではないだろう。しかしである。私が問題にしたいのは大手新聞社たちのアティチュードである。近頃の広告のヒドさは目を背けたくなるほどだ。パチンコ台、あやしげな健康関連食品、そして宗教関係……。私の仕分け欲は高まる。こうした広告主がすべて悪いと言っているのではない。私だって昔はパチンコも麻雀も競馬もしたし、バクチの効用も知っている。一方で経済的な貧困を問題視した記事を打ちながら、一方で貧者製造マシーンともいえるインチキ賭博やシステムに関係する企業や団体から莫大な広告費をもらって、批判もできずにいる大新聞やテレビ局の姿勢が問題と言っているのだ。こんな人たち、それも高給を食む人々のつくるものに月4,000円も払っていいものだろうか。そういう疑問がわいてくるのである。グツグツグツ……
こんな図式が頭に浮かんできた

俺の税金→国→子ども手当→子どもをほったらかして博打に走る親の小遣い→パチンコ業界→広告費→新聞社

なんじゃぁ、ごりゃあああああ!

いかん、あまりのことに松田優作になってしまった(笑)。とりあえず新聞はもっと小規模の新聞社のものに変えることを検討中。これにて月1,000円コストカット。

こんな本も。日本と韓国の比較がおもしろい→
なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか(祥伝社新書226)