ホントにクレイジーなのは誰? 〜本谷有希子作「クレイジーハニー」を観た〜

渋谷のPARCO劇場本谷有希子さんの新作「クレイジーハニー」を観た。前作「甘え」に引き続き本谷作品は2回目。相変わらず面白かった。いろいろと感想はあれども、強烈に印象に残ったのが主演長澤まさみさんの美脚(そこかい!)。あれはすごい。インパクトの大きさとしては少女時代を超えた。とくにハイヒール姿の美しさといったら……フェティシズム的な嗜好は私にはないけれども、途中それらしいシーンがあって妙に納得してしまった。うん、あの脚なら靴を舐めるやつがいても仕方ない(笑)。それにしても本谷さん、役者の生かし方をよくわかっている。舞台に立ってこそ、あのスタイルの良さは生きる。
いやいや、もっと舞台の中身にもふれないと、これではただのエロ親爺(笑)。まだ公演中なのでネタバレしない程度に感想をちょちょいと。

話の主役は、10代でケータイ小説を出して一度は売れたがその後の路線転換により人気は下降する一方の作家・ひろみ(長澤まさみ)とその唯一の理解者であるゲイの飲み屋ママ「まきちゃん」(リリー・フランキー)。この二人に、彼らが出演するトークショー&サイン会を仕切る編集者二見(成河)とトークショー会場である店の泉(安藤玉恵)、そして会に集まってくるひろみの「ファン」たちが絡んで、醜くも滑稽で哀しい人間模様を繰り広げる。

今回も感じたのは、じつに現代的な脚本ということ。一つひとつの台詞や笑いに「いま」の空気感があるのですね。でも、一見現代的なようで、あくまで描かれるテーマは人間の業というか性(さが)。そのあまりに生々しいプレゼンテーションを観ているうちに「ひょっとして、私はいま、時代を超えた普遍的な演劇を観ているのではないか」という不思議な感覚に襲われそうになる。きわめて現代的な場面設定(今回はトークショーの会場、ロフトプラスワンのような)であっても、一瞬、いまこの舞台がいつの時代なのかわからなくなる摩訶不思議な浮遊感。ここにも本谷作品の面白さがあり、深さがあるように思えるのです。

観劇終了後すぐの時点では、この話ではイベントスペースの泉(安藤)一人だけが正気なのだと感じたけれども、その後あらためて考えてみると、主人公ひろみとまきちゃんは行動や言動こそ自意識過剰で過激だが、彼らはじつは至ってまともなのではないか? じつは狂っているのはファンと編集者の側なのでは? と思えてきましたよ。ツイッターやブログといった場で自らは「安全地帯」にいながら著名人や作家たちを勝手に論評し、勝手に支援し、勝手に群れ、勝手に崇拝し、やがては批判し、おとしめる傍観者たち。こうしたファン(あるいは編集者)の「無責任さ」「気色悪さ」を、ひろみは罵倒し、「死ね!」と絶叫する。この心の奥からの魂の叫びに、ある種のカタルシスを感じたのは私だけではないはず(自分にだって、こうしたファンたちと通じる卑怯な部分があるから、これは自虐的な歓びかもしれない)。真にクレイジーなのはどちらか? ハニーとはまきちゃんのこと? それともファンのこと? もしかして観劇している自分のことかも。

ロビーにて(このポスターにもノックアウトされました:笑)

前作「甘え」に関する観劇記事はこちら→http://d.hatena.ne.jp/akazaru09/20100606/p1