無事です。

地震から2日が経ちました。いままで経験したことのないいろいろなことが起こっています。地震発生時は仕事場(6階建てビルの2階)にいました。最初は細かな揺れが長く続きました。スマートフォン地震速報を設定している同僚が東北の沖合で大きな地震があったらしい、とメールを確認し、PCのサイトでも確認したちょうどそのときでした。激しく横揺れが始まり、長く続きました。建物自体が揺れているのが内部からもわかるほどでした。ビルは30年くらいの建物なので、一瞬倒壊の恐怖を感じました。2階はそれでも大きな落下物等は少なかったのですが5階のフロアでは揺れがもっと激しかったようで、棚の上の物が落ちたりデスクの引き出しが全部開いて、デスクトップのMACが全部倒れたそうです。怪我人は幸いに出ませんでした。
その後、テレビ等で震災の状況を見ながら、電車の復旧の見込みが立たないというニュースを確認したあと、業務を終えて6時過ぎに後輩たちと渋谷の駅前でお腹にご飯だけ入れて、横浜の家まで歩くことにしました。19時前に渋谷を出て(駅前は大混雑)〜代官山〜中目黒〜野沢通〜三軒茶屋〜246沿いに人並みの中を二子玉川まで歩きました(携帯はまったくつながりませんでしたが、瀬田の交差点の歩道橋を渡っていたらとつぜん神戸の兄から電話が入り話せました)。で二子玉川まで歩いたところで駅でトイレ休憩。電車はまだ動く見込みがないとのことで歩き再開〜多摩川を渡って、川崎に入ったところで、なんとアメリカ在住のOさんから電話がかかってきました。ニュースを見て、私とヨメに100回近くもコールしてくれていたそうです。横浜と東京、あるいは横浜と川崎で全然通じない携帯電話が、なぜアメリカから通じる?(笑) しかし、Oさんが中継してくださったおかげで私が家に向かっていることが伝わりました。本当にお世話になりました。そして、二子新地〜高津〜溝の口を越えて梶が谷の近くを歩いているとき(この時点で23時前)に、自転車で道を行く青年が東急田園都市線が再開したというニュースを知らせてくれたので引き返して梶が谷から電車に乗ることができました。ほぼ20キロくらい歩いたのですが、自宅まではまだ残り3分の1くらいあったので助かりました。帰宅したのが24時。全部歩いていたらきっと帰宅は2時か3時にはなったでしょう。ヨメさんは横浜の東横線方面の勤務地からやはり歩いて帰ってきていました。停電していたのでいろいろ大変だったようです。家の中はタンスの上置きがズレたり、本が落ちたり、物が多少散乱しましたが、大きな被害はありませんでした。うちは本とCDが多いので覚悟していましたが幸い、倒れ防止用のつっぱり棒のおかげか大丈夫でした。
      
徒歩帰宅中246&首都高沿い:たぶん駒沢公園駅あたり
しかし、こうして家に帰って電気も通って安心できる我々は幸運です。東北地方をはじめ被災した地域の方々のことを思うと胸が痛みます。とくに仙台は私が4年間住んだ思い出の場所ですし、岩手の三陸地方、宮古や釜石は去年の秋に旅行したばかりの街なので震災の映像を見るたび哀しくなります。なにか涙腺がゆるんでしまったのか(花粉症のせいか)、こうしたニュース映像とか各国からの温かい支援メッセージなどを見るたびに涙がタラーっと出てきます。あらららら……。まだまだ大変な状況が続くなか、これ以上の災害が起きないように祈りたいと思います。
ツィッターにも書きたいことはいろいろあれど、この時期に余計なノイズを増やしてはならないと思い、自粛しています。できることといえばできるだけ節電すること。できるだけ正しい情報を得ること。そして、ある程度復興に向けて動き出したら被災した県の産品をできるだけ購入すること、あとは寄付行為なども考えたいと思います。でも今は慌てずに落ち着いて行動することが大事ですね。そして、何度も復活してきたこの国です。きっといつかは立ち直ると思います。
以上、今日は報告だけで失礼します。乱文ご容赦ください!