中央構造線を見たことある人〜
先週、火山噴火の話題を職場の地学ファンの某氏としていたときに、「そういえば数年前に中央構造線を見に行ったことがある」と言ったら激しく反応してもらったので今日はそのことをちょいと。
長野県・大鹿村。関東から九州まで日本列島を縦断する大断層である「中央構造線」がはっきりと確認できる場所のひとつ、「北川露頭」は152号線から小道を少し下ったところにあった。といっても、中央高速を下りて南アルプスの山中に向かって一般道をひた走り、延々と山間を行ったところのその先の小道である(笑)。近くに知る人ぞ知る秘湯があるので、そこに泊まるついでに訪ねてもらえればよいかと思う。
ひんやりとした木立の中を進むと、気持ちのいい小川の端にその露頭は現れる。伊那山系と南アルプスというそれぞれ別の成り立ちの大地が出会う、「日本の背骨」が見える場所である。黄色の花崗岩と緑色の片麻岩の真ん中に、色でいうとグレー70%という感じの粘土層がまるで川のように走っている(なぜか尾形光琳の『紅白梅図屏風』を思い出してしまった)。その直前に、大鹿村にある中央構造線博物館という施設で説明を受ければ感慨もひとしおだろう。この博物館、私が行った日は平日でとくに来館者が極端に少なかったせいか(ちなみにうちの夫婦のみ)、学芸員の方がマンツーマンでじっくり説明してくださるので地層ファンの方々はマストヴィジットですぞ。
大鹿村中央構造線博物館ホームページ http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
(北川露頭の写真もアリ)
こうした地球の歴史を感じる場所とは、人にいろいろなことを感じさせるものだ。奈良の法隆寺の1300年もけっこうな悠久の時間だが、この何万年、何億年というスケールの大地の時間軸の前ではほんの一瞬にすぎないわけで、ましてや我々の人生なんてものは計測不能なくらいに小さい。昔、地球の年齢を1年間とすると人類の歴史はせいぜい大晦日の夜6時半からだと聞いたことがある。すると、私の一生は? たぶん0時になるほんの一瞬前なのだろう。そう考えれば、つまらんことで悩んでいる場合じゃないことがわかる。
南紀・古座川にある巨大な「一枚岩」を見たときにも感じたことだが、大自然の圧倒的な時空のスケールを前にするといつも、逆にいろいろな雑事がひとつの塊として瞬間的に自分の意識の上に現れる。そして大自然の声なのか、体内からの声なのか、「捨ててもいいね?」と私に聞いてくるのだ。そう、コンピュータでゴミ箱内のファイルを削除するときのメッセージのようだ。もちろん、気持ちよく廃棄。この時も、清流の思いの外ノイジーな音がいろいろなアホ事をひと息で流してくれたさ。ジャーッ!
ところで、その時(2003年9月)博物館で聞いた話では中央構造線のなかでももっとも活動が盛んな活断層のひとつが私の実家のすぐ近くを走っているらしい。まったくシャレにならんお話です(笑)。