一枚のリトグラフとドガ展

それは80年代前半、仙台の青葉通沿いにあるホテルで画廊主催による小さな印象派展が行われていた。当時大学2年生で美術鑑賞の機会に飢えていて展覧会の類を片っ端から見てまわっていた私は、看板の「入場無料」の表示と、印象派のタイトルに誘われフラフラと入ったのである。宴会場の中に設えられた展示スペースにはズラリと著名な画家たちの作品が並んでいた。私の目は数多ある中の一点の絵に引き寄せられた。それは、ブルーグレーの紙にシンプルな線で書かれた素描だった。踊り子が踊り終えてお辞儀をする、まさにその瞬間を描いているような作品。その表情や身体全体から、非常に清々しいものを感じる絵だった。踊り終えた充実感、その身体からは熱気すら感じる。何か他とはちがうオーラのようなものが出ている気がして、私はその絵の前に歩み寄った。すると、絵の中にいる踊り子が何か私に話しかけてくるような気になる。絵から視線が動かせず、立ち位置すらも動かすことができない。これがいわゆる金縛りというやつだろうか、絵の発する何かが私を拘束し、身体に奇妙な波動を送っているような、そんな気持ちになった。俗っぽく云うならば、この絵に一目惚れしてしまったのである。
見れば、踊り子の左下にDegasとサインが入っている。ドガの踊り子。パリのオペラ座バレリーナを数多く描いたことでも知られるエドガー・ドガ(1834〜1917)の習作の一つ、おそらくリトグラフだろう。聞けば100年ほど前につくられたものだという。絵には値札がついていた。その額は、貧乏学生が即金で払えるものではなかった。しかし、どうしても手に入れたいと思った。この出会いは運命的だと。そして1時間後、私は生まれて初めて(そしてその後もほとんど使うことのない)月賦というシステムで、しかも卒業までの3年ローンを組んでそのリトグラフを買っていた。「若いうちに絵を買うと、その絵はあなたの一生の友だちになる」――そんな画廊の年輩女性のキラー・セールストークにも強力に背中を押されての決断だった。いま考えてもよく買おうと思ったものだ。ひょっとしたら私は騙されたのかもしれない。いいカモにされた可能性もある。付けられた鑑定書も新品の紙にタイピングされたもので何か怪しく、作品の真贋のほどはいまだに明かではない(20110510注:鑑定書には別の作家の模写によるヴォラール版画という記載あり)。しかし彼女の言葉は本当だった。このリトグラフはその後30年近くの間、私の部屋で、居間で、玄関の壁で私の人生の変遷を見守り、ともに日々を過ごしてくれている。そう、まさに私の人生の伴走者となってくれたのである。

今週11/3の祝日、横浜美術館で行われている「ドガ展」へ行った。パリ・オルセー美術館の収蔵品をはじめ、初期の肖像画などから踊り子の時代、そして晩年視力が衰えてからの写真作品や彫像まで、彼の作家人生をたどる構成となっていて、中には以前からぜひ実物を見たいと思っていた、「エトワール」という作品や「14歳の小さな踊り子」のブロンズ像も展示されている(エトワールの、パステルが生み出す華やかな色彩とモノタイプならではの輝き、これは印刷物ではけっしてわかりません。必見)。人の何げない一瞬、無意識の一瞬をとらえ、そこににじみ出てしまう人間のリアリティを(ちょっと意地悪く)描き出す作家ドガ。彼の抱いた瞬間の感動が絵として定着し、その絵が100年後、学生だった私を感動させ、その後私の横で長い時間をともにし、そしてきっとこの先私がいなくなっても絵は誰かの目にふれ、さらに時を辿っていく。私にとっては、そんな長い長い時の流れの中にいる自分という存在についても考えさせられる展覧会でありました。
ドガ展は2010年12月31日(金)まで横浜美術館(みなとみらい)で開催されています。機会があれば会期中にもう一度くらい見に行きたいと思っています。