我々が「キャンパスライフ」に描くイメージ

その大学は、名前こそ首都圏の大学とすぐにわかるが、じつは地方大学もびっくりの立地(山の中)にある。いや、仕事で訪れた某大学の某キャンパスの話である。バスで最寄りの駅から約30分。正門の脇にコンビニが一軒あるのみで、バス通学路には純・田舎の風景がひたすら展開する。最寄り駅も私鉄ではあるが非常にローカルで、都心までは1時間ほどかかる距離だ。バスに揺られながら私は考えた、「これって、まるで地方大学だよなあ」。
ちなみに私の出身大学も地方にあって、キャンパスのまわりは国有地のせいもあるが当時は喫茶店が1軒あるのみで、あとは住宅地。それでも、バイクや自転車を使えば、百万都市のまん中にはすぐに出られたし、歩いて街まで行けた。例えば講義を受けている途中で「うまい寿司が食いたい!」と思えば、財布の小銭かき集めれば10分後には街の寿司屋の暖簾をくぐることも可能であった。その点、ここの大学生たちはバスで延々と山間部の景色を眺めたあと、さらにほぼ何もない駅前を素通りし私鉄電車に長時間ガタンゴトン揺られて帰宅しているわけだ。うーむ。
かたや、最近では都心部にはオフィスビルのようなタワー型のキャンパスもあったりして……あれもこれも同じ「大学」。たしかに田舎のキャンパスはグラウンドもあって自然に囲まれて気持ちはいいけども、まわりに何もないというのも考えてみればスゴイ環境だ。そう、よく「大学生活」とか「キャンパス」と、私たちは一括りにとらえてしまうけれども、こうして考えてみると各人が心に描くキャンパス像、大学生活像のビジュアルは相当にかけ離れているのではないか。大学の仕事をする上で「キャンパスライフ」とひと言で語るのはじつはよろしくないことなのではないか。と、あれこれ考えながらバスに乗っていたわけであります。そんなバスの車窓から田園風景とともに見えるのは全国チェーンのフランチャイズ店やコンビニの見慣れた看板だったりして、都市と田舎という2極の風景をつないでいるのが流通の世界だったりするのも、これまたしみじみと考えさせられる現実であるなあと。

さて、こうして自らの大学時代のことを少しだけ思い起こした私であったが、その20数年後の私が先週末あたり何をやっていたかについては、また次の話題に。
ミルトン・ナシメント・ミュージック・フォー・サンデイ・ラヴァーズBGMは、Milton Nascimentoのベスト“MUSIC FOR SUNDAY LOVERS” まさに秋の日曜の午後にぴったり。しかし、ライナーノーツの文字色がブラジルグリーンでキレイなのですが、あまりにも読みにくいのが玉に瑕(笑)。