100年前の写真
モンゴメリーの愛したキャベンディッシュ・ビーチは今も当時のままなのだろう。そして、以前『100年前のロンドン』という写真集で見たリージェント・ストリートの佇まいは、今とはやや違ってはいるものの、あの曲線を描く建物そのものは100年前も今も変わらない。その風景の中を歩いているのが山高帽の紳士かスーツ姿の紳士かのちがいだけだ。
人間が生まれて死に、そしてまた生まれ、そうこうしているうちにもビーチも石造りの街も変わらずにいる。だとすれば、人間は、岩場を走るフナムシたちや、石畳の上を横切るアリたちとどれほどのちがいがあるのだろう。そして、その建造物ですら地球上に仮の姿をとどめているにすぎないのだ。月並みな物言いだが、自然、あるいは地球の気が遠くなるほどの永い時間の流れの中では、ボクらはあまりにも無力だ。
最近読んだ小説のなかに、いろいろと風景が変わったとしてもこの空だけはきっと昔の人が見た空と変わらないだろう、と主人公が思ったとたんに、いずれは自分もこの世から消えていくということに気づき、悲しみに似た感情を覚えるシーンがある。一人ひとりの一生はかくのごとく小さなもの。だが、だからこそいろいろな楽しいことでその小さな器を一杯にしてやるのだ、という意欲がメラメラと湧いてくる自分もその一方でいたりするのですが(笑)。