雨の馬車道、ヨコハマメリーを思う
昨日は雨の中、横浜・関内に行って、洋食屋「ポニー」でお昼をいただき(ミルキーでやさしい味のカツがうまい!)、馬車道十番館でウィンナー珈琲を飲んだ。このあたりは20年以上前によく遊びに来ていたなあ、と今さらながらに昔のことを思い出したりしていて、家に帰ってから横浜の伝説の人を描いたドキュメンタリー『ヨコハマメリー』のDVD(中村高寛監督)を見直したのだが、そういえばこの映画が封切られた時期に感想をメモした原稿があったこともついでに思いだしたので、昔の記事で恐縮ですが以下掲載。
横浜・関内のディスクユニオン。横浜に移り住んで以来、よく利用してきた店だ。2階にある店の階下には現在スターバックスが入っていて、道側に面したテラス席にはご主人に連れられた犬たちがおとなしくテーブル席の傍らに座っている。そんなのどかな光景を横目に見ながら伊勢佐木町方面へ向かう。横浜ニューテアトル「ヨコハマメリー」。入り口の階段を下りると昭和を感じさせる受付にサウンドトラック渚ようこのアルバムが置かれている。けっこうな客の数。それも、地元の人たちと思われるふつうのおじさん、おばあさんが多い。メリーさんは横浜では有名人だったからこうして足を運ばせているのかもしれない。知り合いのドキュメンタリーを見るような感じなのだろうと思う。映画は、1995年ごろに忽然とハマから姿を消したメリーさんの消息を訪ねるというものだが、メリーさんと接点のあった人々、それはゲイボーイ上がりのシャンソン歌手であったり、舞踏研究家であったり、あるいはメリーさんが米軍将校相手の娼婦だった時代の“同僚”たち、さらには黒澤明の映画『天国と地獄』の舞台となった今はなき「根岸屋」の店関係者、客であったかつての不良たち、行きつけのクリーニング店や美容院(わずかな年月の間に店も消えていく。美容師はスナックのママに転身していたりする)の人々など、彼(彼女)らが語るメリーさんの姿を通して横浜のひとつの戦後史が語られていくという構成になっている。なかでも、シャンソン歌手元次郎氏の言葉の端々からにじみ出るメリーさんへのやさしい思いが印象的だ。時にそれは同志への、時にそれは母親にも似た対象への愛情として映るのだが、そのまなざしはつねに優しく、熱い(「住むところがほしいのよ」—齢70を過ぎてはじめて弱音を吐くようになったメリーさんに彼は何かと手をさしのべている)。
そして、この映画の一つのクライマックスをつくっているのが彼の歌だ。「マイウェイ」が映画の中で2度唄われる。その歌詞は、「今、船出が、近づくこの……」といういつものものではなく「もうすぐ私はこの世を去るだろう…」という歌い出しだ。元次郎氏は末期ガンに冒され余命いくばくもないと宣告されている。命の残り少ないことを知っている彼の「マイウェイ」は、その唄に至るまでの彼の凄絶な人生を想像するとき、さらに激しく聴くものの心を揺さぶる。男娼として川崎の裏町で生き延びた時代など、元次郎氏のバックグラウンドが映画の中で断片的に紹介されるが、氏の唄う「マイウェイ」は、彼自身の人生への祝福と後悔が入り交じったレクイエムでもある。その歌はメリーさんの哀しくも誇り高い人生までも歌い上げる。そして同時に、聴く者の心の奥底に猛烈な勢いで到達し、人生観を一瞬崩壊させるかのような力を持っている。歌がもつ力の凄まじさを認識させられること、それは、この映画がくれるもうひとつのプレゼントだ。「マイウェイ」は最終章のクライマックスシーンでももう一度唄われる。まだ映画を観ていない方のために詳しい説明は省くが、ある場所で「元メリーさん」と元次郎氏は久々に再会する。元次郎氏はすでに末期ガンが進行し、入院先からはるばる訪れて「マイウェイ」を唄う。その時、たくさんの人たちのなかで元次郎氏の歌に聴き入るメリーさんの姿のなんと美しく気高いことか。その顔は、かつての白塗りではなく、服装も白いドレスではない。少し上品なおばあちゃんそのものである。このシーンがあるからこそ、見る私たちは救われるのだ。
元次郎氏もメリーさんも今はもうこの世にはいない。ヨコハマの街そのものも裏街の雰囲気、昭和の戦後をひきずった街という印象(個性)が少しずつではあるが薄れ始めている。この映画は、そんな、忘れ去られようとしている「ハマ」の空気を人々の記憶にとどめる重要な役割を果たしている。映画を見に来ていた地元のおじさんやおばさんたちが涙を流していたのは、そんな惜別の思いからなのかもしれない。
狭く暗い通路を抜け、階段を上り伊勢佐木町に出た。映画の中でひとつ気づいたことがある。僕もメリーさんを何度か目撃しているが、いちばんよく見かけたのが、冒頭で述べたディスクユニオンの入ったビルの入口。かつてこのビルの1階にはアート宝飾というジュエリーショップがあって、映画の中の証言によるとメリーさんはここのショーウィンドーを眺めるのがとても好きだったそうだ。そしてアート宝飾の店主が、メリーさんが店の前のベンチで休むのを何もいわず放っておいてくれたのだという。僕がかつて見かけたのはそんなひとときのメリーさんだったのだろう。時には真っ白なドレスで、時には真っ赤なドレスで、真っ白な顔の目のまわりだけを真っ黒にした老婆が大きな荷物を転がしながら歩みを止め佇んでいる。はじめて見たときにはびっくりしたものだが、やがて「あれがメリーさん」と知り、ハマの有名人と知り合いになったような気がしたものだ。アート宝飾の店舗も今はこのビルの一階にはない。メリーさんも消えた。根岸屋も消えて駐車場となって久しい。元次郎氏も消えた。……ヨコハマの戦後は終わったのだろうか。