MASTER TAPE 〜荒井由実『ひこうき雲』の秘密を探る〜(NHK-BS2)
1月16日(土)にNHK BS-2で興味深い番組をやっていた。荒井由実(松任谷由実)のデビューアルバム「ひこうき雲」(1973)のマスターテープをユーミンをはじめ、松任谷正隆、細野晴臣、林立夫など当時バックを務めたキャラメルママのメンバー、そして当時制作に携わったディレクターやエンジニアの人たちを交えて30数年ぶりに聴きながら、当時のことを語り合うという企画だ(この手の番組は海外ではPINK FLOYDの“狂気”をはじめ、名盤の制作秘話ものがよくあるけど日本ではあまり見たことないね)。
マスターテープは、ボーカル、ピアノ、ギター、ベース、ドラムスといった楽器の演奏が別々のトラックに入っているので、それぞれを独立して再生することができる。つまり、全く違ったミックスで聴いたり、ボーカルだけ、あるいはボーカルなしで聴くことができるわけで(現在なら当たり前の話だけど、当時はアナログ16チャンネルが最先端)、この貴重なテープを再生して聴きながら、いろいろとレコーディング当時の裏話が明らかにされていく。時折、正隆氏が「ちょっとピアノだけ聴かせてくれる?」とか「ボーカルだけください」と当時のミキサーの吉沢典夫氏に注文を出すと瞬時に本邦初公開のバージョンが聴けるという案配だ。例えば、ユーミンのボーカルと細野氏のガットギターだけを再生した“曇り空”がアコースティックな肌触りで非常に良かったり、あるいはミックスを変えた“VELVET EASTER”が原曲よりさらにヨーロピアンな雰囲気になったりと、ミックスダウンされた最終形のバージョンからはわからなかった面白い発見があった。
録音をミックスルームで聴きながら発する彼らの言葉から感じるのは、この人たちはほんまに音楽のマエストロやなあ、ということ。まあ、もちろん演奏力も素晴らしくて、当時のキャラメルママはやはりすごい(とくに細野&林のリズム隊)。演奏にニュアンスがあって楽器が歌ってますわ。この作品はヘッドアレンジというか、スタジオに来てそこで渡されたコード譜だけで演奏し、録音していったとのことで、ほとんどテイク2〜5くらいで録ってしまったのだそうだ(すごい)。だから表情が豊かなんやね。それにしても、人の力で演奏する当時の音楽は温かくて安心できることを再認識。今のデジタルものって、どんな添加物が入っているかわからんでしょ。うっかりピアノやと思ったらシンセだったり、歌ってるのかと思ったら声のサンプリングだったり(笑)。そんなわけで、シンセがシーンを席巻する直前に出たこの作品は、無農薬で丹精してつくられた野菜のような味わいがあって、レコード会社も含めて「いい仕事してますねえ」と褒めたくなるような品質の高さなのだ。
唯一難航したのはボーカル録りだったらしく、バックの演奏を録り終えてから半年くらいかかったとか。ユーミンはディレクターの有賀恒夫氏から地声の縮緬ビブラートを封印してノンビブラートの歌唱法に矯正するよう命じられたそうだ(あの声、つくられた声だったのね!)。そして楽器のトラックをピンポン(複数のトラックの録音をあらかじめミックスして1つのトラックにまとめ、空きトラックをつくる作業のこと)してまで、ボーカルトラックを複数確保し、何テイクか録った中で出来のよいパートをつなぎ合わせて編集しようとした有賀氏だったが、ユーミン(当時19歳)が「歌の感情の流れが分断されてしまうから、少々音程が悪い部分があっても編集はしないでほしい」と主張したらしい。19歳にしてなんというポリシー! このユーミン氏、どうやら11歳くらいからグループサウンズの追っかけをしていて、13歳の頃には米軍キャンプでYardbirdsなどの海外の最新レコードを買い漁り、バンドに情報提供していたらしい。そして作家デビューは17歳。なんという早熟娘! なんというマエストロぶり、そしてなんという行動力と財力!
まあ、他にも面白い話はいろいろあるのだが、とくに印象的だったエピソードがある。ブリティッシュ・ロック好きのユーミンとアメリカン・ルーツミュージック系のキャラメルママは演奏の嗜好が合わず、じつは最初しっくりいかなかったそうだ。しかしである、レコーディング期間の中盤あたりからユーミンと松任谷氏との個人的交際がはじまり、その後演奏は自然にうまい具合に融合していったとか。エロスの力の偉大さに深く感動いたしました。
番組の中頃に、当時のアルファスタジオを再現したスタジオで、ギターの鈴木茂氏を除く(残念ながら…笑)メンバーとユーミンで“ひこうき雲”を演奏するシーンがあって、当事者でもない私ですが、けっこう胸が熱くなりましたぜ。私もこのLPは持っているけど、これを機に新しくリミックスされて再発されたらいいなあ。